
序章:深まる闇
朝日が差し込む窓辺に立つ倉田美代子(48歳)の顔に、一筋の涙が伝っていた。自分でもその理由がわからない。外は晴れていて、息子の健太は良い大学に合格したばかりで、夫の正和も昇進し、娘の涼子(25歳)も大手企業で働いている。幸せな家族のはずなのに、なぜか胸の奥には重い鉛のような塊が居座り、日に日に大きくなっていた[1]。
「また朝が来てしまった」
美代子はそう呟くと、窓辺から離れ、ベッドに腰を下ろした。体が石のように重い。ここ数ヶ月、この重さは日増しに増していった。最初は単なる疲れだと思っていたが、今では自分の体を持ち上げることさえ途方もない困難に感じる[2]。
「お母さん、朝ご飯できてるよ」涼子の声が階下から聞こえてきた。
「今行くわ」と返事をしながらも、美代子の体は動かなかった。頭にガラスの壁があるように思考が鈍く、最も単純な決断すらできない状態だった[3]。
朝食の支度をしている涼子は、母親が降りてこないことに気づき始めていた。最近、母の様子がおかしい。何をするにも時間がかかり、趣味だった園芸にも興味を示さなくなっていた。医師である夫の正和は忙しく、美代子の変化にほとんど気づいていないようだった。
「お母さん、大丈夫?」階段を上がり、母親の部屋に向かう涼子の声には心配が滲んでいた。
「ごめんね、涼子…今日も起きられないの」美代子の声は虚ろで、かつての芯の強さは感じられなかった[1][3]。
涼子は母親の部屋のドアを開け、中に入った。カーテンは閉ざされ、薄暗い室内には使用済みのティッシュや水を半分だけ飲んだコップが散乱していた。母親はベッドの端に腰掛け、虚空を見つめていた[4]。
「お母さん、病院に行った方がいいんじゃない?」
「大丈夫よ、ただ疲れているだけ。私がしっかりしなきゃいけないのに…」美代子の目から再び涙がこぼれ落ちた。「いつもこんなことで迷惑かけて…私はダメな母親ね」[3][5]。
涼子は医師である父に相談したが、父は「ストレスからくる一時的な気分の落ち込みだろう」と軽く受け流した。彼女は不安を抱えながらも、母親の状態をどう考えればいいのかわからなかった。インターネットで調べると「うつ病」の症状に似ているようにも思えたが、うつ病と診断されることは家族の恥だという風潮もあり、どうすべきか迷っていた[6][7]。
第1章:見えない病との対峙
診察室の冷たい椅子に座りながら、美代子は自分がここに来た理由を説明する言葉を探していた。結局、涼子の強い勧めで心療内科を受診することになったものの、医師の前で自分の気持ちを言い表せるのか不安だった[1]。
「最近どうされましたか?」やさしい表情の女性医師、川村先生が穏やかに尋ねた。
「私…なんだか自分でもよくわからないんです」美代子は視線を下げた。「何をするにも疲れてしまって…朝起きるのも辛くて…」[2][4]。
「いつ頃からそのような状態ですか?」
「半年くらい前からでしょうか…最初は単なる疲れだと思っていたんですが…」美代子は言葉を詰まらせた。「私は怠けているわけではないんです。本当は家事もちゃんとやりたいし、家族のために何かしたいのに…でも体が動かなくて…」[1][3]。
「倉田さん、あなたは怠けているわけではありませんよ」川村先生は優しく、しかし確信を持って言った。「お話を聞く限り、うつ病の可能性が高いと思います。うつ病は脳内の神経伝達物質のバランスが崩れることで起こる病気です。これは性格の弱さでも、怠け心でもなく、れっきとした病気なんですよ」[4][7]。
美代子の目から涙があふれ出た。これまで自分を責め続けてきた気持ちがいくらか軽くなる感覚があった。
「処方する薬を飲みながら、少し休養をとってください。無理をせず、できることだけでいいんです」[8][9]。
その日以降、美代子は抗うつ薬を服用し始めた。しかし、薬の効果が現れるには時間がかかると医師から説明されていたものの、家族の期待に応えられない自分に対する罪悪感は増すばかりだった[10]。
家族の反応も様々だった。涼子は母親の病気について調べ、理解しようと努めていた。一方、父の正和は「気の持ちようだ」と言い、息子の健太は「甘えているだけじゃないの?」と困惑していた[3][5]。
ある夕食時、美代子がほとんど食事に手をつけずにいると、健太が思わず口にした。
「お母さん、それでも食べなきゃだめでしょ。意志が弱いんだよ」[3]。
「健太!」涼子は弟をたしなめた。「うつ病は意志の弱さとは関係ないの。脳の病気なんだから」[4]。
「でも僕の友達のお母さんも落ち込んでたけど、旅行に行ったら元気になったって」[6]。
正和は「美代子、君ももう少し前向きに考えたら?いつまでも引きずってどうするんだ」と言った[3][5]。
美代子は黙って席を立ち、自室へ向かった。涼子だけが彼女の苦しみを理解しようとしているようだった。家族の中に広がる溝を感じ、美代子の孤独感は深まっていった[10][11]。
第2章:理解への険しい道
「お母さんの病気を理解するための家族会があるんだけど、一緒に行かない?」ある日、涼子は父と弟に提案した。父親の正和は最初渋っていたが、娘の熱心な説得に折れて参加を承諾した[12][13]。
その日、彼らは地域の精神保健センターで開かれている家族会に参加した。そこでは様々な年齢、職業の人々が集まり、家族のうつ病と向き合う経験を共有していた[14][15]。
「私の夫もうつ病と診断されて4年になります」50代の女性が話し始めた。「最初は『なぜ頑張れないんだろう』『どうして私の言うことを理解してくれないんだろう』と思っていました。でも、この会に参加して、うつ病とは何かを理解するうちに、私の接し方が間違っていたことに気づいたんです」[12][13]。
家族会のファシリテーターである心理士が説明した。「うつ病の方は『3倍モード』と呼ばれる状態になっています。普通の人が感じる不安や辛さが3倍にも感じられるのです。また、朝方に症状が悪化することも特徴的です」[16][17]。
正和は医師として多くの病気を見てきたが、精神疾患については詳しくなかった。彼はメモを取りながら真剣に話を聞いていた。
「では、家族として何ができるのでしょうか?」健太が質問した[15]。
「まず大切なのは、症状を本人の怠けや性格の弱さと混同しないことです。そして、本人のペースを尊重し、焦らせないことも重要です」心理士は答えた。「『頑張れ』『元気出して』という励ましの言葉も、実はプレッシャーになることがあります」[12][16][17]。
家に帰る車の中で、健太は黙り込んでいた。「僕、お母さんに酷いこと言ってたよね」と彼はぽつりと漏らした。
「私たちみんな、理解が足りなかったんだ」正和も深く考え込んでいた。「美代子の辛さをもっと理解しなければ」[12][14]。
しかし、知識を得ることと実践することの間には大きな隔たりがあった。翌日、美代子が昼過ぎまで起きてこなかったとき、正和は再び苛立ちを感じた。「知識では理解しているつもりでも、実際に目の前で起きると感情的になってしまう」と彼は自分の反応に困惑した[18][15]。
一方、涼子は母親の症状の波を観察し、調子が良いときには少しだけ活動を促し、悪いときには無理をさせないよう気を配っていた。彼女は医師からのアドバイスを守り、小さな進歩を認め、ほめるようにしていた[19][16]。
「お母さん、今日はリビングまで降りてこれたね、すごいじゃない」涼子は母親の小さな変化に気づき、声をかけた[17]。
美代子は微かに笑顔を見せた。「ごめんね、こんな母親で」[1]。
「謝らなくていいんだよ。お母さんは病気と闘ってるんだから」涼子は母の肩に手を置いた。「回復には時間がかかるって先生も言ってたでしょ?焦らなくていいんだよ」[9][16]。
それでも家族全員が常に理解を示せるわけではなかった。時には健太が「いつになったら元のお母さんに戻るの?」とつい口にしたこともあった。そんなとき美代子は自分の存在が家族の負担になっていると感じ、さらに自責の念に駆られた[3][6]。
第3章:闇の中の光明
治療を始めて3ヶ月が経った頃、美代子の状態に少しずつ変化が見え始めた。良い日と悪い日の波はあったが、以前と比べると起きていられる時間が増え、ときどき台所に立つこともできるようになった[9][19]。
川村医師は診察で説明した。「うつ病の回復は直線的ではありません。良くなったり悪くなったりしながら、全体としては少しずつ上向いていくのが一般的です。薬の効果も出てきているようですね」[9][19]。
このころ、涼子は母親への接し方について大きな気づきを得ていた。以前は無意識のうちに「母親は強くあるべきだ」という期待を持っていたことに気づいたのだ。それが母親への失望や苛立ちにつながっていたことを認識した[14][18]。
家族の関わり方も徐々に変化していった。正和は家事を率先して手伝うようになり、健太も母親に対して以前ほど期待をかけなくなった。美代子が簡単な料理を作ったときも、それを当然と思わず「美味しいよ」と素直に感謝を表すようになった[16][15]。
美代子と涼子はカウンセリングにも通い始めた。そこでは認知行動療法を通して、美代子の「思考の歪み」を修正する取り組みが行われていた[9][20]。
「私はいつも『全か無か』で考えてしまうんです」美代子は心理士に打ち明けた。「完璧にできないなら、全くできないのと同じだと思ってしまって」[3][9]。
「では、そのような考えをより現実的なものに置き換えてみましょう。『完璧でなくても、少しできることに意味がある』というように」心理士は穏やかに提案した[9]。
この療法を通じて、美代子は少しずつ自分を責める気持ちから解放されていった。また、家族も美代子の病気と人格を区別して考えられるようになり、「病気だからすべて許される」というわけでもなく、かといって「すべて自己責任だ」と責めるのでもない、バランスの取れた視点を持てるようになってきた[6][10]。
ある日、家族で食事をしていたとき、美代子が突然言った。「私、園芸サークルに行こうかと思うの…少しだけなら」[19]。
家族全員が驚いたが、涼子がすぐに反応した。「それ、いいね!お母さんが好きだったことだもんね」[17]。
「ただ…人と会うのは少し怖いわ」美代子は不安そうな表情を見せた[1]。
「最初は短い時間だけでもいいんじゃない?無理しなければ」正和が優しく言った[13][16]。
美代子は少し考えた後、「そうね…挑戦してみようかな」と穏やかに微笑んだ[19]。
これは小さな一歩だったが、回復への重要なステップだった。美代子自身が将来に対して少し希望を持ち始めたことを示していた[9][19]。
第4章:家族の絆の再構築
「涼子、ちょっといいかしら」ある夕方、美代子は娘を自分の部屋に呼んだ。
「どうしたの、お母さん?」涼子は母親の様子に気を配りながら尋ねた。
「あなたに謝りたいの。私の病気のせいで、あなたに負担をかけすぎていた」美代子は静かに言った。「母親なのに、娘に頼りっぱなしで…」[10][11]。
「お母さん、謝らなくていいよ。これは病気なんだから」涼子は優しく言った。「でも、最近はずいぶん良くなってきたよね」[16]。
「そうね…良い日と悪い日があるけれど、以前よりはマシになってきたわ。でも、自分の病気を言い訳にして、あなたたちに甘えすぎていたかもしれないわ」美代子は真剣な表情で言った[4][6]。
涼子は驚いた。「お母さん、そんなことないよ。むしろ無理しすぎたくらいだよ」[15]。
「でもね、病気と性格の境界線がわからなくなることもあるの。『これは私の責任だ』と思うべきことまで『うつ病だから仕方ない』と思い込んでしまう…それが怖いの」美代子は自分の内面と向き合っていた[10][18]。
この会話は、美代子が自分の状態を客観的に見られるようになってきた証拠だった。彼女は病気を理解し、同時に自己責任の部分も認識し始めていたのだ[6][10]。
川村医師も次の診察で同様のことを話した。「うつ病からの回復過程では、『何が病気の症状で、何が自分自身の問題か』を区別できるようになることも大切な一歩です。しかし、自己責任を過度に意識しすぎるのも禁物です」[9][18]。
家族もまた、美代子の回復に合わせて変化していった。正和は家族の時間を増やし、健太も母親と一緒に庭の手入れを手伝うようになった。家族全体がこの病気と闘う当事者として、それぞれの役割を果たしていた[14][15]。
涼子は、自分自身も疲れていることに気づき始めた。母親のケアに加えて仕事もこなすことで、知らず知らずのうちにストレスが溜まっていたのだ。彼女は自分のためにもカウンセリングを受けることにした[16][15]。
「家族の中にひとりでもうつ病の人がいると、家族全体がその影響を受けます」カウンセラーは涼子に言った。「あなた自身のケアも忘れないでください」[13][14]。
少しずつではあるが、倉田家は新しい家族のあり方を模索していた。完全な回復や以前と全く同じ生活に戻ることを目標にするのではなく、病気と共存しながらも、お互いを尊重し合える関係を築こうとしていた[19][15]。
第5章:希望の光
治療を始めて1年が経った。美代子のうつ症状は波があるものの、全体的には改善傾向にあった。抗うつ薬の量も徐々に減り、週に2回だった診察も月に1回になっていた[9][19]。
「倉田さんの回復は順調ですね」川村医師は診察室で言った。「ただ、これからが大切です。社会復帰を焦りすぎないようにしましょう」[19]。
美代子は数ヶ月前から地域の園芸サークルに参加し、週に一度は地域センターのうつ病体験者グループにも顔を出していた。そこで同じ病気と闘う仲間と出会い、自分だけが苦しんでいるのではないと知ったことが大きな励みになっていた[19][13]。
「私、パートの仕事を探そうかと思うんです」美代子は川村医師に相談した。「でも…また調子を崩したらどうしよう…」[21][22]。
「焦らなくていいですよ。まずは短時間から始めるとか、できることを少しずつ増やしていけばいいんです」川村医師は優しく答えた。「うつ病は再発することもある病気です。でも、一度経験しているからこそ、早めの対処ができるようになります」[9][19]。
帰宅した美代子を、涼子が迎えた。「お母さん、どうだった?」[15]。
「先生は私の回復を褒めてくれたわ」美代子は少し照れながら言った。「私、仕事のことも相談したの」[19]。
涼子は嬉しそうに微笑んだ。「それはすごいね!でも無理しないでね」[17]。
「ええ、わかってるわ。あのね、涼子…この1年、本当にありがとう」美代子は娘の手を取った。「あなたがいなければ、私はここまで回復できなかったと思う」[14]。
「お母さんが頑張ったからだよ。それに、私も多くのことを学んだわ」涼子は母親の手を握り返した。「私たち家族みんなが変わったんだよね」[14][15]。
確かに、この1年で倉田家は大きく変わっていた。美代子のうつ病をきっかけに、家族それぞれが自己反省し、互いの理解を深めていた。正和は仕事中心の生活を見直し、家族との時間を意識的に作るようになった。健太も母親の病気を通して、心の健康の大切さを学んでいた[14][11]。
「うつ病は家族の試練だったけど、同時に私たちを成長させてくれたとも思う」美代子は静かに言った。「この経験を無駄にしたくないわ」[23][15]。
涼子は母親の言葉に深く頷いた。彼女もまた、母親を支える過程で多くを学んでいた。人間の弱さと強さ、病気と向き合う勇気、そして家族の絆の深さを[14][15]。
美代子はまだ完全に回復したわけではなかった。これからも良い日と悪い日があるだろう。うつ病は慢性的な病気であり、再発の可能性もある。しかし、彼女と家族は以前とは違う。病気に対する理解が深まり、早期発見と対処の方法を知り、互いをより深く理解するようになっていた[9][19]。
「私、明日から近所の花屋さんで週2回、短時間だけ働くことになったの」美代子は晩餐時に家族に伝えた。「ずっとやりたかったことだから、楽しみだわ」[19][21]。
「それはすごいね!」健太が素直に喜んだ。
「無理のない範囲でね」正和も優しい眼差しで妻を見た。「応援してるよ」[16]。
その夜、美代子は日記を書いた。
「うつ病との闘いはまだ終わっていない。でも今は、闇の中にいても光が見える。この病気を通して、私は自分自身の弱さと強さを知った。家族の愛も再確認できた。この経験を糧に、これからの人生を一歩ずつ、自分のペースで歩んでいきたい。病気に振り回されるのではなく、病気と共に生きることを学びながら」[1][19][15]。
窓から見える夜空には、無数の星が瞬いていた。美代子は窓辺に立ち、深呼吸をした。明日への不安はある。しかし、それ以上に、これからの人生への小さな希望も感じていた[9][19]。
終章:新たな一歩
「美代子さん、このアレンジメント素晴らしいわ」花屋の店主である中村さんが言った。「あなたのセンスは本当に素晴らしいわ」[19]。
美代子は花屋での仕事を始めて半年が過ぎていた。週に3日、午前中だけの短時間勤務だったが、彼女にとっては大きな挑戦であり、達成感を感じる時間でもあった[19][21]。
「ありがとうございます」美代子は照れながらも嬉しそうに答えた。彼女の手には季節の花々で作られた小さなブーケがあった。色とりどりの花の美しさは、心に安らぎを与えてくれた[19]。
仕事を終え、帰宅する道すがら、美代子は時折襲ってくる不安と上手に付き合う方法を思い出していた。「今この瞬間に集中する…深呼吸…否定的な考えが浮かんだら、それを認めて手放す…」これらは認知行動療法で学んだテクニックだった[9][20]。
家に戻ると、週末のため健太が大学から帰省していた。「お帰り、お母さん。今日の花屋さんはどうだった?」彼が尋ねた。
「今日は新しいお客さんが来てくださって、私のアレンジメントを気に入ってくれたのよ」美代子の表情は明るかった[19]。
「すごいじゃん!お母さん、本当に花が好きなんだね」健太は素直に感心した。大学生になった彼はより成熟し、母親の病気と回復のプロセスを理解するようになっていた[14][15]。
夕食の準備をしながら、美代子は自分の変化を振り返っていた。うつ病になる前は、常に完璧を求め、家族のために自分を犠牲にするのが当然だと思っていた。病気になったことで初めて気づいたのは、自分自身を大切にすることの重要さだった[10][14]。
「今日は私の担当じゃなかったのに作ってくれたの?」仕事から帰った正和が台所に入ってきた。家事は今では家族全員で分担していた[14]。
「気分が良かったから」美代子は微笑んだ。「あなたも疲れているでしょう?」[19]。
正和は妻の横に立ち、肩に手を置いた。「君の回復ぶりを見ていると、本当に嬉しいよ」[14]。
「まだ完全じゃないわ」美代子は正直に言った。「でも、以前よりずっといい状態。調子の悪い日もあるけど、その時はちゃんと休むことを覚えたわ」[9][19]。
涼子は仕事で遅くなると連絡があったが、家族3人での夕食は和やかな時間だった。食後、美代子は川村医師に勧められた患者会のパンフレットを正和と健太に見せた[13]。
「私、うつ病の体験者として話をしてほしいと頼まれたの。地域の啓発活動なんだけど…」美代子は少し緊張した様子で言った[13]。
「それはいいことじゃないか」正和は誠実に言った。「君の経験が誰かの助けになるかもしれない」[14]。
「僕も応援するよ、お母さん」健太も加わった。「うつ病ってまだ誤解されてることが多いから、実際に経験した人の話は重要だと思う」[11][18]。
美代子は感慨深く頷いた。「この病気になって苦しかったけど、いつか誰かの役に立てればと思ってたの」[13][15]。
その夜、涼子が帰宅すると、家族は美代子の新しい挑戦について話し合った。涼子も全面的に母親を支持し、発表の練習相手になることを申し出た[14]。
「私がうつ病になったとき、最初は恥ずかしいと思っていたわ」美代子は静かに言った。「でも今は違う。この経験を通して学んだことがたくさんあるの。それを誰かと分かち合えることに感謝しているわ」[13][11]。
家族はそれぞれの言葉で美代子を励ました。彼らはこの2年間で、うつ病が単なる「気の持ちよう」ではなく真剣に向き合うべき病気であること、そして病気と共に生きることを学んでいた[14][18]。
次の週末、美代子は地域センターで自分の体験を話した。緊張しながらも、彼女は自分の言葉でうつ病との闘いを語った。病気の苦しさだけでなく、回復の過程や、家族の支えがいかに大切だったかも[13][11]。
「うつ病は目に見えない病気です。だからこそ誤解されやすい。でも、これは紛れもない病気であり、適切な治療と理解があれば、回復への道が開けます」美代子の言葉は静かながらも力強く、聴衆の心に響いていた[4][11]。
講演後、同じような経験を持つ人々が美代子に話しかけてきた。彼らの多くは「自分だけじゃないんだと知って安心した」と言った[13]。
家に戻った美代子を、家族が温かく迎えた。「どうだった?」涼子が尋ねた[14]。
「緊張したけど、話せてよかったわ」美代子は安堵の表情を見せた。「みんな真剣に聞いてくれて…私の話が少しでも誰かの役に立てばいいな」[13][15]。
その夜、美代子は庭に出て、星空を見上げた。うつ病との闘いはこれからも続くかもしれない。良い日もあれば悪い日もあるだろう。しかし彼女は今、自分自身と病気を受け入れ、家族との新たな絆を築き、一歩ずつ前に進んでいた[9][19]。
「これからも一日一日を大切に」美代子はそう呟きながら、満天の星を見上げた。闇の中にも、確かに光は存在していた[19][15]。
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- https://kokoro.mhlw.go.jp/over/881/
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- https://anamne.com/depression-prejudice/
- https://haru-kokoro.com/うつ病の相談・治療
- https://www.jspn.or.jp/modules/forpublic/index.php?content_id=15
- https://ease-mm.com/column/industrial-mental-health/232/
- https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/32c1ff1711c9be6a34f47f97a5f1f2a58044d297
- https://www.med.keio.ac.jp/features/2025/6/8-167602/index.html
- https://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/kokoro/dl/04.pdf
- https://www.jstage.jst.go.jp/article/sjpr/57/3/57_405/_pdf
- https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1240020091.pdf
- https://ishinkai.org/archives/2048
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- https://nagoyasakae-hidamarikokoro.or.jp/blog/うつ病【休職中の家族ができることについて解説/
- https://ishinkai.org/archives/2833
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- https://www.kaien-lab.com/useful/1-employment/depression-rehabilitation/
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