●教会に足を運ぶ必要はありますか?
金光教の教祖は、熱心に信仰する信者に対して、わざわざ大谷の本社に参拝する必要はないと繰り返し説いています。
- 「遠方からたびたび参るには及ばない。おかげは家で受けるがよい。」 (理2・冨永勝治郎の伝え1)
- 「遠路のところをさいさい参るには及ばない。天地の神はどこにでもおられるから、一心に頼みさえすればおかげは受けられる。」(理2・片岡馬吉の伝え1)
- 「遠いのに、ここまで参って来なくても、近い所で信心するがよい。ここまで参るには、こづかいもいる。神様はどこにでもおられるのであるから、近い所で信心せよ。」(理2・松山勝蔵の伝え1)
これらの教えは、真心のこもった信心があれば、物理的な距離は関係なく、どこでも神様と繋がり、おかげをいただけるという考え方を示しています。
また、教祖は、熱心な信者に対して、
- 「もう、さいさい参って来るな。いかに病気を治してやっても、根は容易に治らぬ。日にちを薬にしなければならない。忙しいのに参って来るな。」(理2・斎藤重右衛門の伝え4)
とも仰せられています。これは、頻繁な参拝よりも、日常生活の中で信心を深めることの重要性を説いたものと解釈できます。
さらに、教祖は、
- 「ここへは遠いから、西川の秋山(秋山米造の広前)へ参りなさい。」(理2・鳩谷古市の伝え3)
と、近くの信者の元で教えを受けるように勧めることもありました。これは、信仰を広めるためには、身近なところで教えを深め、実践していくことが重要であるという考えを示していると考えられます。
●死後の霊魂はどうなりますか?
金光教の教祖は、人の命は有限であると説いています。
- 「人間は生き通しにゃならぬものじゃのう。わずか六十か七十になると死なねばならぬのじゃから、名を残して死なしてやる。」(理1・荻原須喜・6)
- 「人間、また草木など、みな天の恵みを受けて、地上に生きているのである。それゆえ、天は父親、地は母親のごとくであります。」(理1・石原銀造・1)
この教えは、人間は自然の一部であり、自然の摂理に従って生かされているという考え方を示しています。人は、自然の一部として生を受け、成長し、そして死を迎えるという自然のサイクルの中に組み込まれているという教祖の生命観が反映されています。
また、教祖は、人の命は有限であるからこそ、その間に何を成し遂げるかが重要であると説いています。
- 「人は一代、名は末代というてのう、人間は死ぬけれど、善いことをしたとか悪いことをしたとかいう名は死ぬものじゃないからのう。何でも、よい名を残して死になさい。」(理1・荻原須喜・6)
この教えは、人の肉体は滅びても、その行いや名前は後世に残る可能性があるということを示唆しています。したがって、人は限られた命の中で、善行を積むことに努め、後世に残るような価値あるものを創造していくべきであるという教祖のメッセージが込められています。
・特定の宗教団体に入会する意味はありますか?
金光教の教祖は、特定の宗教や団体に依存することなく、個人が主体的に信仰を持つことの重要性を説いています。
- 「どの神へでも、わが一心と思う神へすがりさえすれば助けてくださる。あの神へも頼み、この神へも頼みては、神の力関チカラセキ(力のおよぶ範囲)が知れぬわいの」(理1・青井サキの伝え7)この言葉は、特定の神に依存するのではなく、自分が心から信じられる神であれば、誰であっても、どこに祈っても良いという、信仰の自由と主体性を強調しています。
- 「信心はせんでも、おかげはやってある」(理1・市村光五郎1・2)この言葉は、特定の宗教団体に属していなくても、神様のお恵みは平等に与えられているという考えを示しています。
- 「人はみな、神様の氏子である」(理2・山本定次郎・12)この言葉は、すべての人間は神の子であり、特定の宗教や団体に属するかどうかではなく、信仰心を持つことが重要であるという考えを示しています。
これらの教えから、教祖は、特定の宗教団体に依存するのではなく、個人がそれぞれの信念に基づいて信仰心を持ち、主体的に神様と向き合うことの重要性を説いていると考えられます。
・社会情勢や世論が気になります
金光教の教祖は、社会情勢や世論に対して、以下のような向き合い方を説いています。
- 社会の変化を受け入れる明治維新による社会の変化に際し、教祖は古い慣習にとらわれず、新しい時代に合わせていくことの重要性を説いています。たとえば、明治政府が旧暦を廃止し太陽暦を採用した際、教祖もそれに従い、信者にも新しい暦に合わせて生活するよう指導しています。(理2・吉本吉兵衛の伝え1)
- 世論に惑わされない教祖は、周囲の意見や評判に惑わされず、自身の信念を貫くことの重要性を説いています。たとえば、金光教の教えが「狐や狸の教え」だと批判された際も、教祖はそれに動揺せず、教えを広めることに専念しました。(理2・角南佐之吉・1)
- 社会の動きに注意を払う教祖は、社会の動きに注意を払い、その変化に対応していくことの重要性を説いています。たとえば、明治政府が肉食を許可するようになったことを受け、教祖はそれまでの肉食禁止の教えを緩和しています。(理1・佐藤範雄・1)「今までは私が自由を言ってすんだが、これからは時勢に従っていけ。」(理2・金光萩雄の伝え・6)この言葉も、時代の変化に合わせていくことの重要性を説いています。
- 法令を遵守する教祖は、社会の秩序を守るために法令を遵守することの重要性を説いています。たとえば、警察から布教の差し止めを受けた際には、それに従い、別の方法で教えを広めることを考えています。(理2・柏原とくの伝え10)
- 自分の信念を貫く教祖は、たとえ周囲から反対されても、自分の信念を貫き通すことの重要性を説いています。たとえば、家族から信仰をやめるよう説得された信者に対して、教祖は信仰を続けるよう励ましています。(理2・影山鶴吉・2)
教祖は、社会の変化や世論に柔軟に対応しながらも、自身の信念を曲げずに、社会の秩序を守りつつ、教えを広めることの重要性を説いていると考えられます。