短編小説『病気という逃げ場』

第一章 午後の憂鬱

リビングのソファに沈み込むように座る母の姿を見るたびに、私の心は複雑にもつれていく。48歳になった母は、いつの間にかうつ病という診断名を背負うようになり、それはまるで免罪符のように彼女の言動を正当化する理由となっていた。

「みゆきちゃん、お疲れさま。今日は辛かったでしょう?」

玄関で靴を脱いでいる私に、母が弱々しい声をかけてくる。25歳になった私は、都内の中堅商社で働くOLとして、毎日満員電車に揺られて通勤している。確かに疲れてはいるが、それは誰もが抱える当たり前の疲労だ。

「おかえりなさい」ではなく「お疲れさま」。母の挨拶には、どこか働く私への労いが込められているようで、同時に「働けない自分」を暗に示しているように感じられる。

「お母さんは今日どうだった?」

私は努めて明るく聞いてみる。母は小さくため息をついた。

「今日は特に調子が悪くて…洗濯物を干すのがやっとだったの。病気だから、どうしても無理ができないのよ」

洗濯物。見回すと、確かに洗濯機から出したばかりのような濡れた服が、リビングの椅子に無造作に置かれている。干されていない。

「あ、でも大丈夫。私がやるから」

私は慌てて洗濯物に向かった。母はソファから立ち上がろうともしない。

「ありがとう、みゆき。母さんはこんな風だから、本当に申し訳ないと思ってるのよ。でも病気だから、どうしても…」

病気だから。この言葉が、最近の母の口癖になっていた。

第二章 病名という鎧

母がうつ病と診断されたのは半年前のことだった。きっかけは、長年勤めていたパートを辞めたことだった。職場での人間関係に悩んでいたようだが、詳しい事情は母からは聞けずじまいだった。

「仕事を辞めてから、どうも気分が沈んで…。きっと心の病気だと思うから、病院に行ってみるわ」

母はそう言って心療内科を受診し、予想通り「うつ病」という診断を受けて帰ってきた。その日から母の生活は一変した。

家事は「病気だから無理ができない」理由でほとんどしなくなった。以前は几帳面だった母が、部屋の掃除も、料理も、「調子の悪い日」には一切手をつけない。

「みゆき、お母さんの分の夕飯も作ってもらえる?今日は本当に何もする気になれなくて」

仕事から帰って疲れ切った私に、母はそんな風にお願いをする。断れるはずがない。母は病気なのだから。

でも、不思議なことに、母は友人との電話では明るく笑っている。近所の人と立ち話をしている時の母は、以前と変わらぬ様子だ。テレビを見て声を上げて笑うこともある。

「お母さん、意外と元気そうじゃない?」

ある日、思い切って言ってみると、母の表情が曇った。

「みゆきは分からないのよ。うつ病というのは、外に向けては普通に振る舞えても、家族の前では気を張っていられないの。家族だからこそ、本当の辛さを見せてしまうのよ」

確かにそうかもしれない。でも、どこか納得のいかない気持ちが残った。

第三章 責任の境界線

「みゆき、ごめんなさい。電気代の支払いを忘れてしまって」

ある日の夜、母が申し訳なさそうに私に謝った。電気が止まる寸前での連絡だった。

「どうして忘れちゃったの?」

「病気のせいで、最近物忘れがひどくて…集中力もなくなってるし、うつ病の症状の一つなのよ」

私は急いでコンビニに走り、電気代を支払った。帰り道、疑問が湧いてきた。母は毎日テレビのドラマを欠かさず見ている。好きなタレントの出演番組は録画までしている。それなのに、電気代の支払いは忘れてしまう。

「お母さん、病院で先生に相談してみたら?物忘れが激しいって」

「そうね、今度聞いてみるわ。でもたぶん、薬の副作用もあるのよ。うつ病の薬って、いろいろな副作用があるから」

母の薬は確かに多い。抗うつ剤、睡眠薬、不安を和らげる薬。薬の副作用で頭がぼんやりすることもあるのかもしれない。

でも、母は自分の体調管理について、以前とは明らかに異なる態度を取るようになっていた。歯医者の予約を忘れたのも「病気のせい」、友人との約束を破ったのも「病気のせい」、家事ができないのも「病気のせい」。

すべてが病気のせいになっていく。

第四章 娘の限界

私の仕事は決して楽ではない。新人の頃から任される雑務は山のようにあり、先輩たちからの指導は時に厳しく、残業も多い。それでも私は、社会人として当然の責任を果たそうと努力している。

でも家に帰ると、私がすべてを背負わなければならない。

母の分の食事の準備、家計の管理、各種支払い、掃除、洗濯。母が「病気だから」できないことが、すべて私の肩にのしかかってくる。

「みゆき、お母さんはあなたに甘えすぎているかもしれないわね」

ある日、母自身がそう呟いた。私は内心、やっと気づいてくれたかと思った。

「でも、どうしようもないのよ。病気だから、本当に何もやる気が起きないの。申し訳ないと思ってるけど…」

結局、母の言葉は謝罪で終わり、状況は何も変わらない。

そんなある日、職場で同期の友人に相談してみた。

「お母さんのうつ病のことで悩んでるんだけど…」

友人は親身になって聞いてくれたが、最後にこう言った。

「でも、うつ病って本当に辛い病気だから。みゆきちゃんが頑張って支えてあげるしかないよね」

友人の言葉は正論だった。でも、私の中のモヤモヤは晴れなかった。

第五章 崩れる日常

母の「病気だから」は、日に日にエスカレートしていった。

美容院の予約を無断キャンセルしたのも「病気だから外出する気になれなかった」、町内会の清掃活動を欠席したのも「病気だから人と会うのが辛い」、私の誕生日を忘れたのも「病気で記憶力が低下している」。

でも、母の好きなことに対する記憶力や集中力は衰えていない。韓国ドラマの複雑なストーリーを完璧に把握しているし、好きな俳優の出演スケジュールも把握している。

「お母さん、これって本当に全部病気のせいなの?」

ついに私は声を荒らげてしまった。

「みゆき、あなたは分からないのよ!うつ病がどれだけ辛いか、健康な人には理解できないの!」

母は泣き出した。私は自分が最低な娘のような気がして、慌てて謝った。

「ごめんなさい、お母さん。私が悪かった」

でも、心の奥では確信していた。母は病気を隠れ蓑にして、責任から逃げている。

第六章 専門家の言葉

耐えきれなくなった私は、母の主治医に相談することにした。母の同意を得て、一緒に診察に同行した。

「お母さんの症状について、娘として心配なことがあるんです」

私は医師に率直に話した。家事ができない、約束を忘れる、責任感が低下している、でも趣味のことは集中してできる。

医師は穏やかに説明してくれた。

「うつ病の症状は人それぞれですが、お母さんの場合、意欲の低下や集中力の散漫が主な症状のようですね。ただし、患者さんによっては、好きなことや興味のあることには集中できることがあります。これは決して珍しいことではありません」

「でも、それって…」

「娘さんが疑問に思われるのも無理はありません。ただ、病気の症状と、個人的な責任感の問題は、時に区別が難しいものです」

医師の言葉は丁寧だったが、私の根本的な疑問には答えてくれなかった。

診察の帰り道、母は私に言った。

「先生もそう言ってたでしょう?病気の症状なのよ。みゆきには理解してもらいたいの」

私は何も言えなかった。

第七章 壊れていく関係

それから私と母の関係は、徐々に冷え込んでいった。

私は仕事から帰っても、以前のように優しく母に接することができなくなった。母の「病気だから」という言葉を聞くたびに、心の中で反発を感じる自分がいた。

母もそんな私の変化を察知してか、より一層「病気の辛さ」を訴えるようになった。

「みゆき、最近冷たいわね。お母さんは病気で苦しんでるのに、娘にまで理解してもらえないなんて…」

母の言葉に、私は深い罪悪感を抱いた。同時に、強い怒りも感じた。

ある日、限界に達した私は、実家を出ることを決意した。

「一人暮らしをしようと思う」

母に告げると、母は愕然とした表情を見せた。

「どうして?お母さんが病気だから迷惑なの?」

「そうじゃないよ。ただ、自立したいから」

「でも、お母さん一人じゃ生活できないわよ。病気だから…」

また「病気だから」だった。

第八章 距離を置く決断

私はアパートを借り、実家を出た。母は最後まで反対したが、私の意志は固かった。

一人暮らしを始めて一週間、母から毎日のように電話がかかってきた。

「みゆき、お母さん一人じゃ何もできないの。電子レンジの使い方も分からないし、銀行の手続きも難しくて…」

「お母さん、前は一人でもできてたじゃない」

「それは病気になる前の話よ。今は本当に何もできないの」

私は心を鬼にして言った。

「お母さん、試しに一週間、自分でやってみて。本当にできないことと、やりたくないことを区別してみて」

母は電話の向こうで泣いた。

「みゆきまでお母さんを見捨てるのね…」

私は電話を切った。

第九章 変化の兆し

それから三週間が過ぎた。母からの電話は次第に減っていった。

心配になった私は、様子を見に実家に帰った。

すると、家の中は以前よりも片付いていた。洗濯物も干してあるし、冷蔵庫には手料理もある。

「お母さん、大丈夫だった?」

「みゆき…」

母は複雑な表情で私を見た。

「実は、あなたがいなくなって、本当に困ったの。でも、やってみたらできることもあったのよ。病気だから無理だと思ってたけど、少しずつなら…」

母の言葉に、私は安堵した。

「全部が病気のせいじゃなかったのね」

母は小さく頷いた。

「でも、病気は本当よ。ただ、病気だからって、すべてを諦める必要はないのかもしれない」

最終章 新しい関係

それから半年が経った。母は完全に元気になったわけではないが、以前のように何でも「病気のせい」にすることは少なくなった。

私も週に一度は実家に顔を出し、母と適度な距離を保ちながら関係を築いている。

先日、母がこんなことを言った。

「みゆき、あの時あなたが厳しくしてくれて良かったわ。私、病気を言い訳にして、娘に甘えすぎてたのね」

「お母さんが病気なのは本当だと思う。でも、病気と個人の責任は別物だよね」

「そうね。病気だからこそ、できることはしっかりやらないといけないのかもしれない」

今でも母の調子の悪い日はある。でも、そんな時も母は「今日は調子が悪いから休ませて」と言うようになった。「病気だから仕方がない」ではなく。

私たち母娘は、病気と責任の境界線を見つけることを、今も続けている。それは簡単なことではないけれど、お互いを思いやりながら、少しずつ前に進んでいる。

病気は確かに辛いものだ。でも、病気だからといって、すべての責任から逃れることはできない。そして、家族だからこそ、時には厳しさも必要なのだということを、私たちは学んだ。

この物語に明確な解決はない。でも、お互いを理解しようとする気持ちがあれば、きっと道は見つかるはずだ。

(終)

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コメント

    • 伊藤せーら
    • 2025.06.21 12:09am

    何か内容が鬱病が軽く書かれているような気がする、この小説は何だか何時もの癖の強い内容じゃあ無いから読んでいても、何だかな?って感じだから書き直して欲しい。

    • ご意見ありがとうございます。この小説「病気という逃げ場」を読んで感じられた率直なご感想をお聞かせいただき、大変参考になります。内容が「うつ病が軽く書かれている」ように感じられたり、「いつもの癖の強い内容ではない」と感じられたりしたとのこと、読者の皆様が抱かれる様々なご感想を真摯に受け止めております。

      ご指摘いただいた点について、本作品が意図するところや、うつ病の描写における背景を、資料に基づいてご説明させていただきます。

      まず、「うつ病が軽く書かれている」という印象についてですが、本作品では、**うつ病の複雑な側面**を描くことを意図しています。主人公である母親は、うつ病と診断されてから「病気だから無理ができない」と家事をほとんどしなくなったり、電気代の支払いを忘れたりする一方で、友人との電話で明るく笑ったり、近所の人と立ち話をしたり、好きな韓国ドラマの複雑なストーリーや俳優の出演スケジュールを完璧に把握している様子が描かれています 。娘のみゆきも「お母さん、意外と元気そうじゃない?」と感じ、疑問を抱く場面があります 。

      この描写は、決してうつ病を軽視しているわけではありません。作中で医師が説明するように、「**患者さんによっては、好きなことや興味のあることには集中できることがあります。これは決して珍しいことではありません**」という症状が実際に存在します。資料によると、物語で描かれた母親の行動パターンは、「**非定型うつ病患者が、好きなことには集中できるが責任のある事柄を避ける傾向があり、これが家族の混乱を招く要因となる**」という実際のうつ病患者の特徴と一致しています。この現象は「気分反応性」とも呼ばれ、非定型うつ病の特徴の一つです。

      このように、本作品は「**見えない病**」としての精神疾患と、それに対する家族の「**理解と疑念の狭間**」という二律背反を重要な主題として描いています。病気が時に「免罪符」や「鎧」として機能し、「逃げ場」にも「牢獄」にもなりうるという**両義性**を、日常の些細なやり取りを通して浮き彫りにしようとしています。

      次に、「いつもの癖の強い内容ではない」というご感想と、書き直しのご要望についてですが、本作品は「現代文学作品分析」の一環として、現代社会における精神疾患と家族の関係性を**鋭く、かつ繊細に描写すること**を目指しています。作者は「巧みな心理描写と日常の何気ないシーンから、私たちの心の風景を浮き彫りにしています」とされています。

      この小説の優れた点は、娘の視点を通して、うつ病という困難な状況の中で揺れ動く「**理解と葛藤、共感と疲労、愛情と苛立ち**」といった相反する感情が、日常の何気ないシーンを通して表現されている点にあります。特定の立場に偏ることなく、すべての登場人物に対して深い人間理解と共感を示すことで、「**読者に自己と他者の境界線、そして心の病を持つ人との関わり方について考えるきっかけを提供する**」という社会的メッセージを持っています 。

      物語の終盤では、娘が実家を出るという「距離を置く決断」をすることで、母親が自身の能力を再認識し、少しずつ責任感を取り戻していく過程が描かれています。これは「共依存」関係を断ち切る重要な転換点として機能しているとされています。最終的に、母親は「病気を言い訳にして、娘に甘えすぎていた」と気づき、娘も「病気と個人の責任は別物」という理解に至ります。

      このように、本作品は「**病気を美化せず現実的な困難を正直に描くこと**」を重視しており 、「明確な解決はない」としながらも、相互理解と適切な距離感の重要性を示し、**読者に内省を促す**ことを目的としています。そのため、あえて劇的な展開や強い感情表現に終始するのではなく、**心理的な深掘りと現実的な関係性の変化**に焦点を当てた作品として創作されています。

      ご意見は真摯に受け止めつつも、本作品は上記のような意図と背景を持って書かれており、その描写自体がうつ病の複雑さや家族関係の現実を反映しているとご理解いただければ幸いです。

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