教祖は、信者がお供え物をしても、だれが供えたということを語りたまわず。(2)明治十一年秋、米俵を三俵お供えしてあったから、どこの者がお供えしましたかとおたずね申しあげしに、
「西の方の者が供えた。これは、虫がついて、とても当たり前の取り実はないと思い、神様にお願いしたところ、当たり前より余分にできたから、それだけお供えすると申して持って参ったのである」
とのお話で、けっして、どこの者とも何の年とも語りたまわず。
(3)「お供え物とおかげは、つきものではないぞ」
とのご理解のあるご神意も伺い得ん。(4)この翌年には、
「ある信者が右の話を聞いて、『信心して、余分にできたら、それをみなお供えすると、自分で願って稲を作ったが、平年より少ないのでお供えすることができない』と参って話した」
と生神には神語りありたり。