明治十五年十六年教祖のご神慮
ご立教はじめは、昼夜も分かたれず、お食事も日に一度のことながかりしと承っておる。朝早くお起きになり、お広前にお仕えになり、人が参って来る。また参って来る。夕食が一度のこと長く続きたりと。信者も、朝暗いうちより夜に至るまで切れることなかりしという。(2)そういうことであったが、朝は食事して勤めよとのお指図あり、それからは、朝召しあがりてお広前へお出ましになり、御年六十をこえさせたまうと、お広前のお勤めは日の出より日の入りまでとのお指図あり。しかし、それは信者へのことである。
(3)十五年の秋の末つ方よりは、大切なる道のお伝え事は多く夜間にあることとなれり。その一例をあげると、十六年の夏のある夜十二時過ぎ、一時に近きころ、お広前に到着した。わらじを解き、広前にあがり、結界のところへ参り、「ただいま、御領(佐藤範雄)参詣いたしました」と申しあげたら、
「そうか」
とて、すぐふすまをあけられ、お休みではなかった。ご端座なされておったのである。
(4)「よう遅くお参りでありました」
とのたまい、それより次から次へと神語りあり。
(5)「もはや夜明けも近かろう。お休みなされ」
と仰せられ、仰せのまま、「ありがとう存じまする」と退下し、吉備乃家へ下がった。かくのごとくして、大切なる道のお伝えは夜間なりし。(6)それが十五年秋より十六年へかけてのことである。
(7)「もはや此方世にあらずとも、この道は失われざるべし」
とのお言葉も、これまで申せしことをよく味わわれたらば、わかることであろう。(8)十四年から非常にご苦労であった。大阪で道の開けるについてのご苦労である。普通に言えばご心労である。十五年十六年のご神慮のほど、この一事で拝察できると思う。(9)多く、開祖たちはみな、この経路である。晩年に当たりて、いよいよのことは伝わるのである。