理1・仁科志加・3

それから、いっそう励んで信仰をしてみても、
「まだ信心が足らない。二月八日が来るぞ」
とご理解くださった。(2)ある日、金光様が、
「一生懸命に信心しないと、取り返しのつかないことができる」
と夫の病気について言われるので、「どのようにしたら神様のおかげをいただけますか」とおたずねすると、
「人に教えられてするような信心ではおかげにならない。自分の腹から練り出した信心でなければおかげにならない」
と仰せられた。(3)ついに二月七日、金光様は、
「卯の年(仁科志加)、明日という日が絶体絶命である。神様に一心の届く信心はできないか」
と仰せられた。
(4)帰り道、どうすれば一心の届く信心ができるかを考えながら帰っているうち、裸参りをしようと思い、母に話すと、いったんは反対された。しかし、「一生連れそう夫のため、気が違ったと言われてもかまわない」という決心をし、ちようど来合わせた夫の姉の斎藤里須も「弟のために」と、また下女も「あるじのために」と言って、三人が行くことにすると、西側の分家のおいの浜蔵が「女ばかりで間違いがあってはいけないから私がついて行く」と言い、結局四人で行くことになった。
(5)どういうふうにするかを話し合い、私が「裸になって、回しを締め、腰に注連縄を張って、近くの厄神様ヤクジンサマで水をかぶり、道中お祓をあげながら、駆け足で参りましょう」と言った。(6)そうして、四人で参ると、
「卯の年、今日は神に一心が届いた。寅の年の病気も、さっそく全快をさしてつかわす。その方は、まことに一心の定まる女である」とおほめくださり、(7)なお、そのうえに、
「今日までは、夫と言い妻と言っていたが、今日からは寅の年に金子大明神、卯の年には金子明神というご神号をさし許してやる。今日からは、双方ともに神であるぞ」
と仰せられて、ご神号をお授けくださった。(8)足守の武士が三人参拝中であったが、三人ともかたわらへ寄ってお結界の前をゆずってあけてくれた。帰り道、鴨方の町では各戸で塩を振って清めて拝んでくれ、「もう大丈夫。おかげをいただいた」と思った。(9)家の下の坂まで来ると、病人は縁まで出て迎えていた。そして全快した。百余名の信者を引き連れ、お礼参りをした。私が二十五歳、夫は三十八歳の時であった。

..鳩谷古市の伝え

  1. 理3・内伝・13

  2. 理3・内伝・12

  3. 理3・内伝・11

  4. 理3・内伝・10

  5. 理3・内伝・9

  1. ご伝記 金光大神(昭和28年刊行版)

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