元治元年の春、弟伊平出産の時、母志摩は、産後、血の道にて足が立たぬようになり、その節、父徳次郎が大谷の金神様の広前へ参詣して祈願仕り。(2)その時、
「その方の家にはご無礼しておる。家は南向き、戌亥に蔵、西に長屋、東に立ち上がり(がけ)があり、家の上に折れ回りになっておる。この折れ回り角に大便所あり、この陰で不浄の洗い物をしておる。この方角へ、この度、後産を三か所へ埋めかえておる。(3)とにかく、暦を見て明き方という金神の留守をねろうておるが、例えにも、隣三軒は京都におる子にかえなという。一の隣でも、留守をねろうておると、つまらんようなことができる。今より金神頼むと心を改め、今より信心すれば、病人全快いたす」
と申され、み教えのごとく病人全快したれども、その後、引き続き信心するにいたらず。なにゆえと言えば、金神狸という評判に恐れて参詣を中止しいたり。