この広前にはご祈祷のお札もなく、ほかほかの神様とは違う。天地の神様が「お洗米で人は助かる。銭金で人を助けるとすれば、貧乏な人が困る。天が下の氏子は安心におかげを受けさせねばならん」とお伝えくだされたので、このようにして神様の前でご用を勤めさしてもらうのである。
(2)まことに神様のみ教えどおりで、百石持ちの人がほかへ一両使うたのは、その日に何のこともないが、貧乏で、その日時々のもうけ食いの人がほかへ一両使えば、すぐに困るから、お供えは心任せである。
(3)この金光大神は銭金を目当てに拝むのではない。難儀な人を助けねばならぬから、「お供えのことを思わず、こづかいだけのくり合わせを受けられた時に参りなさい」と言うて話しておるのじゃ。信心しておかげを受けた時に、心任せのお供えができるようになれば、氏子も喜びである。