はじめ、妻が信心して子明神という神号をいただき、出社となっていたが、明治六年六月二十九日に死去したので、その旨を金光様に申しあげたところ、
「民さん、百姓をやめて、神様に身を任せてしまって、人を助けたらどうか」
と仰せられた。(2)「百姓が大切でありますから」と申しあげたら、
「その方は、おもな者が百姓をやめては、食べられないようになると思うであろうが、食べられれば食べる、食べられなければ食べないという気になったらどうか」
と仰せられた。(3)しかし、なおご辞退したので、
「それでは、いつまでも百姓をするがよい」
と仰せられた。
..田淵愛造の伝え