大阪の高麗橋三丁目に住む中西嘉七という人が、ある年の夏のはじめに参って来て、広武が同道してお広前に参った。『古事記』にも『日本書記』にも、思金神オモイカネノカミ、金山彦命カナヤマヒコノミコトというのはあるが、ただ金乃神というのはないということを、金光様にご意見申すつもりであったようである。(2)その時、
「生神というのは、世の人が、此方を生きながらの神として、そう言うので、此方から生神と言っているのではない」
と仰せられ、(3)さらに中西が、「大神というのがいけない」と申すと、
「それは、国の守カミからいただいたものである」
と仰せられた。(4)神名については、
「天地金乃神という名は、日天四 月天四 金乃神という名をつづめて申しあげているのである」
と言われ、中西という人は、これはまさに生神様であると、恐れ入って帰ったことがある。