信心には何を目的にすればよいか。病人は痛いのを治してもらいたいと願い、健康な者は、作がよくできるようにとか、商売が繁盛するようにとか願って参るが、それは一時のことである。信心するには、末の安心を楽しみにしないと信心が続かない。(2)末の安心のためには、自分一人がおかげを受けただけではならず、子孫に伝わる信心をすることが大切である。家の内が円満で、あるじが信心しなければ、子孫には伝わらない。
(3)痛いのを願うのは信心の糸口ではあるが、それでは、治ればお礼参りをして、その後は参らないということになる。自分の心を改めて、よい子供を得るということを、信心の第一の目的としなければならない。一代の信心は神様が喜ばれない。
(4)末の安心が得られるかどうかは懐妊十月の間にある。その間、親が心を磨いていなければならない。赤い物を見れば子に赤いあざができるというが、それは形の上のことである。心にあざができると、せっかく大きく育てても、後で困るようなことになる。母の胎内は器である。水は方円の器に従い、人は善悪の友によるというが、その器であるから、母親が心を改めて自身からおかげを受けていかなければ、心にあざのできた子が生まれる。
(5)この懐妊中の心得が信心のもとであるから、そのためには家内中、円満にして、懐妊中の者を泣かしたり、怒らしたりしないようにしなければならない。嫁と姑の仲がよければ天下が騒ぐというが、とにかく仲よくしなければならない。
(6)六根の祓にも「静め静まることをつかさどるべし」とあるが、家では家のあるじの女が司である。司が心得をよくして子供のよいのを産めば、信心が伝わる。人に笑われないようにならなければならない。これを信心の目的にして、子孫に伝わるような信心をしなければならない。