明治十二年の十月ごろ、はじめて参拝した日の翌日のことであった。普請小屋は草が生えて、久しく作業中止の様子であったが、中にお宮の破風だけ造られたものが置かれてあった。小屋のかたわらに、人名だけ記した札が二枚立ててあった。(2)それを見て金光様に伺ったところ、
「大工に神意にかなわないことがあって、中止しているのである。宮が建てば、天地金乃神が入ると思うであろうが、神が宮の中に入ったら天地は暗闇である。あれは私が入るのである。
(3)氏子はだんだん寄付札のことを言って来るが、神は寄付札は嫌いである。札にたくさんの金額を書いて立てればよいように思う者もあろうが、たくさん書く人は、後に財産があるからよい。しかし、少ない人は、毎日働いてもうけた内を少しずつ書くのであるから、身代限りをしてお供えをするようなものである。神は、それがふびんでならない」
と仰せられた。