教祖大祓詞奏上をやめたまう
教祖は、はじめ、お祓、心経をあげられ、お祓は六根清浄の祓にて、ともに地方に行われしままを奏せられておった。(2)元治元年、白川神祇伯王殿から、神拝式許状にそえて大祓詞下がり、しばらくして、大祓詞を奏せられることとなった。六根清浄の祓に続き、大祓詞を奏せられしが、後いつとなしに六根の祓をやめ、大祓詞だけとなった。
(3)明治十四年春のころから、参詣すると大祓詞をやめてござる。教祖の大祓は涼やかにして、金鈴を振るようであった。それをやめられ、お願いこみだけとなっておる。「ありゃ、大祓をおやめになっておる」と思い、ある時、参詣者のない時(教祖の広前には三人か五人か参りおることもあり、切れることもある)「金光様、このごろは大祓をあげられませぬが、どういうわけでござりますか」と伺いしに、
「神様が、『大祓をあげてもあげないでも同じこと。氏子に一口でも話をして聞かせい』とのお指図であるから、やめた」
とのお言葉あり。(4)私どもは、これを拝して、かく思う。教祖の神は、明治三年十月二十六日、天地のしんと同根なりとの、ご神格がついてきておられるけれど、御慎み深いため、
「此方といえども、間違えば、いつお暇が出るかわからぬ」
と仰せられ、ほとんど、このお言葉を座右の銘としておわした。(5)それが、いよいよ今度は天地の神と神人一体と立たれ、生神のお口より出ずるお言葉は天地の神のお言葉となるごとくお進みなされしにより、大祓の時間があれば一言でも氏子にお話を聞かせなさることになったのである。
(6)「此方の道は祈念祈祷で助かるのではない。話で助かるのである」
とのみ教えどおりになり、それより教祖には拝み詞がなくなり、氏子のお願いをただ取次がれるのみとなった。親神様と教祖との間に何らの形式も入れずに、おかげを受けられることとなった。(7)金光大神の拝み詞は、生神金光大神の手続きをもって天地金乃神と拝むのが、拝み詞となった。ご在世中、このことがはっきりしたのである。(8)教祖は、
「此方の道は祈念祈祷で助かるのではない。道を歩きながら話をしても、畑の岸に腰をかけて話をしても、得心がいけばおかげになる」
と常に仰せられた。(9)これは、御理解(「金光教祖御理解」)六十一節、
「神より金光大神に、いつまでも尽きぬおかげを話にしておくのぞ。信心しておかげを受けたら、神心となりて人に丁寧に話をしてゆくのが、真の道をふんでゆくのぞ。金光大神が教えたことを違わぬように人に伝えて真の信心をさせるのが、神へのお礼ぞ。これが神になるのぞ。神になりても、神より上になるとは思うな」
とあるご神意である。(10)また、御理解六十八節に、
「神参りをするのに、雨が降るから風が吹くからえらいと思うてはならぬ。その辛抱こそ、身に徳を受ける修行じゃ。いかにありがたそうに心経やお祓をあげても、心に真がなければ神にうそを言うも同然じゃ。拍手も、無理に大きな音をさせるにはおよばぬ。小さい音でも神には聞こえる。拝むにも、大声をしたり節をつけたりせんでも、人にものを言うとおりに拝め」
とあるのもそうである。(11)ここに注意を要するは、今日の儀式を粗略にしてはならぬ。教祖は折り目正しきを守られたのである。内に改まりが正しければ、外に現れてこなければならぬ。大祓も何もあげないでよいというのは、自分の徳が神と同根なりとまで進んでいなくてはならぬ。