教祖み教えの大綱
明治十六年新九月八日、旧八月八日、前来申すとおり、一教の信条はそれぞれお伝えになり、教祖はほとんど昼夜を分かちたまわず、われわれも昼夜を分かたず。この日、久しく霊地にとどまりおったので、「金光様、今日まで数々のみ教え事を承りましたが、どの道でも、極意、奥義というものがあります。このお道の奥義は何でありますか、承りとう存じます」と申しあげしに、教祖、
「此方の道は九か条である」
と直ちにお答えあり、その間、「そうか」とのお言葉もなし。
(2)一、方位
二、毒断て
三、不成(此方のふじょうは、不浄にあらず、成らずと書くのぞ)
三つ
(3)四、欲徳
五、神徳(寿命長久)
六、人徳(人に用いらるること)
三つ
(4)七、神
八、皇上
九、親
三つ
(5)拝承して、厚く御礼を申しあげた。教祖、暫時、無言のうちに御面持ち静かにおわしまし、神神しかりし中にもお疲れのありし様を今も拝する心地す。(6)このお伝えすむと、非常にお疲れのご様子も拝せらる。これぞ、生神最後のお伝えである。この九か条を拝せば、わが道の発達の順序も、神誡神訓の淵源も拝せらる。
(7)ここに、私ども、教祖へおわび申しても尽きぬ次第のあるのは、前、神誡神訓を拝記する折、「これほど次から次へお伝えがありますれば、全部で何か条ほどになりましょうか」と申しあげたることありしに、
「そうじゃのう、百か条にも余ろうぞ」
とのたまいしに、私どもの怠りにより、ご在世中には八十二か条しか伝わらなんだ。それに、この九か条を加うれば九十一か条となり、この日までに確然となる。私ども怠りあり、それで百か条に満たぬこととなった。(8)これは範男最後の日まで秘しおかんとしたるも、管長(金光家邦)様「みなに伝えておけ」とのお言葉ゆえ、教祖生神のご命と拝して、みなに今日お伝えしたのである。この手帳、今消えかけておるが、木筆(鉛筆)で厳然と読める。
(9)それから、あまり長く帰宅していないので、暫時おいとま申せしに、
「まだ暑いから、人力車で帰ってくれ。疲れてはならぬから」
とのたまい、青年の意気盛んなる時であったからご辞退申しあげておると、藤井くら様参詣口に来られ、「佐藤さん、車が来て待っておるから早く」と言われ、吉備乃家へ一度下がり、乗車して帰るに心安んぜず。赤鉢アカバチ(金光より一里)まで帰り、車夫に「ここより帰れ」と言うに、「金光様のご用ですから、西浜ヨウスナ(金光より三里半)までお供します」と言うて聞かず、新庄の堤(金光より二里)にて、また言うても帰らず。(10)「近いうちにお参りして申しあげる」と言うても聞かず、「それなら、私はここから帰らぬ」と言い、車からおりて動かぬようにしたら、車夫は「送り届けよと言われた金光様へはすみませぬが」と言って別れた。この乗車、二里ばかりなれど、長途の乗車の心地した。ありがたいよりは、恐れ入ったのであった。(11)お広前にて、私ども、生神を拝するのはこれが終わりであった。