明治十四年の旧三月二十八日に、お昼まで母は仕事をしておりました。「少しつむりが悪い」と言うて休み、晩になりて眠り、どうしても気がつかず、医者は、「これは本寝入りなり」と申されました。(2)すぐさま赤壁の金神(難波なみ)様へお願いに人をつかわしました。私は、うちにて一心におすがりしていました。「帰りしだいにおかげをいただく」と申されました。(3)使いが帰るや否や、息吹き返し、母は、「みなみなどうしたことじゃ」と申しました。「どうもご心配かけました。相すみませぬ」と申し、一々みなみなに御礼を述べました。医者は、「もう心配はない」と言いました。(4)それより、間もなく、「お神酒ミキ」と申したきり、そのまま亡くなりました。
(5)私は考えまして、これまでおかげをいただいておるのに、なんでこのとおりのことがあるのであろうかと思いました。考えてみるに、三年前に金光様の申されたことを思い出し、親が死んでおかげじゃというのはおかしいが、実にありがたいと御礼申しあげました。(6)それより、大本社へお礼参りをいたしました。そして、母が死去したのについて、「前の夫を帰してはいかが」と、人がいろいろとすすめましたゆえ、金光様へお願いをいたしました。すると、金光様は、
「本人は精神が直っておりはせぬ。その場は、どうなりと言うておれ。その場さえ抜けたればよい」
と申されました。(7)そして、
「信心しておれば、田地田畑をもうけるようなものじゃわいの。親子とも、畳の上で日の送れる時期が来るわいの」
と申されました。(8)その後なおなお一心さしていただき、おすがりしておりました。