理1・荻原須喜・3

その翌日、豊松が参詣したところが、金光様が、
「巳の年(豊松)、お前方には信心ができるか」
と仰せになった。(2)「へい、私方には信心はできるかぎりしております」と申しあげたところが、
(3)「どんな信心ができておるか」
と仰せられるので、「へい、日本国中のあらゆる神仏、悉皆信心します」と申しあげた。(4)すると、金光様が、
「それはあまりの信心じゃ。そう信心をし過ぎては、おかげがないわい。(5)その中には、ここがありがたいという所はないか。巳の年、昔から神信心しておかげを受けるのには、一心ということを言おうがな。一心に信心すりゃ、おかげが受けられるのじゃ。お前方の信心は一心になっておらぬ。(6)日本国中の神仏に信心すると言うが、それはあまりの信心じゃ。
(7)たとえて言えば、女でも、いよいよ一心を打ちこむ男は一人しかない。この男こそと思うたら、心の底から一心を出して、身も心も打ちこんでしまうのでなけりゃ、まことの恋ではない。他の男を見下げるのでも、嫌うのでもないけれど、わが身も心も打ちこんでいきたいのはこの男であるというのでなけりゃならぬ。
(8)人にしても、この人が親切なとか、この人が頼みがいがあるということがあろう。何事を人に頼むにも、一人に打ち任すと、その人が自分のおよぶ限りの力を尽くして世話してくれる。二人三人を頼むと、相談に暮れて物事はかどらぬ。
(9)また大工を雇うても、棟梁がなければならぬ。何でも、芯というたら一つしかない。日本の国でいうと天子様が芯、県では県令が芯、村には戸長、家には亭主という芯があろうが。草木にしても芯というたら一つに限る。神信心もこの一心というものを出すと、すぐおかげをいただける。
(10)この金神という神は、普請するに、知らずにすれば牛馬七匹、知ってすれば亭主より七墓築かすと、昔から言い伝えるじゃないか。そのようなむつかしい神なら、頼みがいがある。心安くしておかげを受ける方がよかろうじゃないか。
(11)ここへ信心せえと言うのじゃない。どこでもよい。お前方の好きな所へ信心すりゃ、それでよいのじゃ。何様ではおかげがないということはない。(12)人間でも、いよいよ身も心も打ちこんで頼まれりゃ、どうでもこうでも助けてあげにゃならぬという心になって、わが力にかなわぬ時は人に頼んででも助けてあげようが。(13)神も一つこと。ご自分でかなわぬ時は、神から神に頼んででも助けてくださるから、神に力がたらぬということはない。どこでもよいから一心に信心せよと言うのであるぞ。巳の年、わかったかや」
と仰せられた。

  1. 理3・内伝・13

  2. 理3・内伝・12

  3. 理3・内伝・11

  4. 理3・内伝・10

  5. 理3・内伝・9

  1. ご伝記 金光大神(昭和28年刊行版)

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