理1・荻原須喜・6

これなら、大谷まで三里あろうが四里あろうが、ぼつぼつ参れば参られぬことはあるまいと、豊松について金光様のもとにお参りした。(2)その時、私は、もったいなくてもったいなくて、何ともかとも言えぬありがたさで、金光様のおそばに頭を畳にすりつけて言葉も出ず、夢中でお礼を申しあげていたら、(3)金光様が、
「丑の年、ありがたいかや」
とおたずねになった。そのお言葉につられて、ようやく、「金光様、もう何も申しあげられませぬ」と泣くばかりであった。(4)金光様は、まことにおやさしい声で、
「そうかそうか。それは何より結構じゃ。よく、おかげを受けなさったのう。こんなにありがたい心に早くなれば、二か年も難儀せんでもよかったのに。(5)もう、今まで長う痛うてつらかったことと、今おかげを受けてありがたいことと、その二つを忘れなよう。その二つを忘れさえせにゃ、その方の病気は二度と起こらぬぞよう。
(6)こからのう、人が痛いと言うて来たら、自分のつらかった時のことと、おかげを受けてありがたい時のことを思い出して、神に頼んでやれ。われはもう治ったから人のことは知らんというような心を出すと、またこの病気が起こるぞ。
(7)今の心でのう、おかげを受けていけば、病気が起こらぬばかりじゃない。子孫の末までおかげを受けられるぞ。(8)丑の年、西阿知の生き手本にしてやる。今は病気が治ってありがたいのじゃけれど、人間は生き通しにゃならぬものじゃのう。わずか六十か七十になると死なねばならぬのじゃから、名を残して死なしてやる。(9)人は一代、名は末代というてのう、人間は死ぬけれど、善いことをしたとか悪いことをしたとかいう名は死ぬものじゃないからのう。何でも、よい名を残して死になさい。
(10)丑の年、西阿知が始まってこのかたないことができたというようなおかげをいただかれるぞ。お社を建てさせてやるぞよう」
と次から次へありがたいお言葉をくださったので、私はありがたさ骨身にとおりて帰宅した。
(11)それから、一日のうちには何度となく金光様のお棚に御礼を申しあげ、痛いという人あるごとに、とりあえず、「すみやかにこの氏子がおかげをいただきまして、病気平癒いたしますように」とご祈念していたが、だれ言うとなく、「お須喜さんは、痛い者があれば拝んでくれるのじゃ」と言い伝えるようになり、だんだん頼む人ができた。おかげはぴしぴしと立ってくるので、しだいに頼む人も増えてきた。
(12)私はわが身のおかげに感泣していたのであるが、そのうえに人のことまでおかげがいただけるとは何とありがたいことであろうと、日夜ありがた涙にむせんでいた。

  1. 理3・内伝・13

  2. 理3・内伝・12

  3. 理3・内伝・11

  4. 理3・内伝・10

  5. 理3・内伝・9

  1. ご伝記 金光大神(昭和28年刊行版)

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