理1・道願縫・1

私は長き間家業に苦心憂慮せし結果にや胸痛を患い、種々加療せしもその効なく、困難を極めつつありしに、(2)一度この道に入り信心の一念を起こしてより十年来の宿痾全治したれば、そがお礼参拝をと、近藤藤守師に従いて、明治十五年二月中旬、はじめて大本社に参拝せり。
(3)当時、もとより汽車の便なく、大阪より一行二十数名、汽船に乗りたり。かねて師より聞かされし生神様を明日は目の当たりに拝し得べし、明日こそは金光大神様に親しくまみゆるを得べしと、喜びの念とどめあえず、波にゆらぐ船の疲れもさらにおぼえず。(4)翌朝、岡山三蟠港に着し、ここより上陸していよいよ大谷に向かうこととはなりぬ。時しも大雨、沛然として降りしきり、歩行極めて困難をおぼえたりしも人力車はなく、やむなく雨にぬれつつ歩みを運ぶ間に、ようやく人力車ありたれば、これを雇いて霊地大谷に着きしは、もはや夕暮れのころなりき。(5)かくて、古川方に旅装を解きて大本社に参りしに、生神金光大神様は大広前にお座りあそばされいたりき。起きては現、寝ては夢に、あこがれ慕い奉り、つかの間も忘れ得ざりし生神様を今はじめて間近に拝し奉りたる、その時の喜びたるや限りなく、口にも筆にも尽くし難し。いまさらに遠く思い返して無量の感慨ぞ催さる。(6)さて、その夜は大谷に尊き夢を結びて、翌朝早く師に従いて参拝し、当時、私は綿商を営みてありしにつき、師の手続きをもって、営業ご都合くり合わせを専念願いあげ、さらに頭髪を刈り落として五分刈り頭になりたき希望ありしかば、その可否を伺いあげしに、金光様は笑顔にて、
「後家であるから好きにしてもよろしい」
とのたまいぬ。(7)仰せかしこみ、宿に退きて朝食をすませし後、理髪師を招き、藤守師の面前にて散髪をなしぬ。他の信者らは先に大広前に参り、師は私の散髪なせる模様を見て後に行かる。私は散髪なして後に馳せ参りて、後方に座してありしに、かしこくも金光様の御目は私の頭に注がれて、
「きれいになりましたなあ」
とのご神言をたまわり、喜びの念極まりなく、身も心も打ち忘るるばかりなりけり。(8)かくて、その日も大谷に泊まりて、翌朝さらに大前に参り、とやかくと今日までのことども聞こえあげ、私は後家の身にして実子の女なるを悲しみ、不平がましく申しあげしに、金光様は、
「女に女の子はよろしいぞよ」
とのたまいぬ。そのお言葉を拝して、わが愚痴言のいまさらにはずかしく、恐縮せり。
(9)道願家は従来、本家にて綿商を営み、分家にて醤油業をなし来りしも、とかく順調に進み難く、商運つたなく失敗を重ぬること多かるが間に、私の夫なる人逝去したり。私は亡夫の遺志を受け継ぎ、この両業をいかにかして盛大になしたしとの熱意を持したりしをもって、その願いの筋をつぶさに聞こえあげしに、金光様、
「女の一心は岩でもとおす」
と仰せられぬ。(10)なお、さらに、使役し来りし番頭某を前年解雇せしが、彼は万事この業に通じおる者なれば、これを再採用してはいかにとの由を伺いまいらせしに、答えてのたまわく、
「素人玄人はないものじゃ。みな、神が教えたものじゃ」
と。(11)以後、私は、女の一心、岩でもとおす、とのご神言を頼りとして、いかにかして、事業隆昌を期せずばやまじと、多年腐心せしも、そのかいなく、あるいは失敗をきたし、あるいは店員の動揺あり、あるいは娘高の養子とせし者の、綿商をいといて業をかえんことを望むなど、万事、意のごとくならず。(12)もしも成功せずんば、女の一心、岩でもとおす、と仰せられし金光様に申しわけの次第もなく、恐懼のいたりなれば、ぜひにもと種々苦慮せしも、その効なく、ここに己がご神言を誤解せしを悟り、前後始終のことども考え来りて、一夜、翻然と決心し、明治二十三年、断然廃業することとなしぬ。
(13)その後一年にして、布教の命を奉じて土佐の地に渡り越し、ここに身を布教にゆだぬることとなりたるなり。

  1. 理3・内伝・13

  2. 理3・内伝・12

  3. 理3・内伝・11

  4. 理3・内伝・10

  5. 理3・内伝・9

  1. ご伝記 金光大神(昭和28年刊行版)

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