理1・道願縫・2

養子の善兵衛が淋病にかかりいたりしをおかげによりて全治せしかば、明治十六年六月ごろお礼参拝させぬ。他に、もう一人の養子の栄次郎、娘の高、店員の嘉助(大場吉太郎)と多助の合わせて五人が、近藤藤守師と二代目白神新一郎師とのお供をして参拝させていただきぬ。
(2)午後一時に大阪の川口を出る汽船にて大谷へ向かい、参着して金光様に御礼言上せしに、金光様は善兵衛に対して、
「幼少の時分、親が子供の小便をご地内にさせるがゆえに、その子がついに、淋病を患うにいたる。かくして、はなはだしきは、ついにまた目にまで来るぞよ」
と仰せたまいしと、善兵衛帰宅の後に物語りしが、果たせるかな、その後、善兵衛は度の強き近眼となり、後には脚気にかかりて、ついに早世せり。しかして善兵衛の妻も目を病みて、後二十余年、いまだ治らず。実に恐るべく、かしこきことなり。
(3)同時に参拝せし嘉助は、船が大阪を離るるや早くも船酔いし、神戸に寄港せし際に下船して帰らんかと思うほどなりしが、藤守師夫人より、一心になれよと諭されて、いまさらに恥ずかしく、かくてはならじと勇を鼓して一心に大神に念じ、心機一転したる後は、船酔いあともなくさめて、神戸より岡山までは何らの異状もなく、無事に着きたり。(4)かくて、霊地大谷に参着せし翌日、氏は「今年三月、眼病にかかりしを、大神のおかげによりて、かく全快せり。この大本社にまします金光大神様は、生神様とたたえられるお方なりと聞けり。己、今日まで、他には語らざりしわが身の履歴、懺悔も、今はこの生神様に聞こえあげて、なお将来のおかげをもこうむりたし」と早朝起きいでて大広前に参り、(5)金光様に、今日までの始終を語りいで、「わが父なる人は、おじにして、実父にあらず。その養父に対して孝行なさざるのみならず、ついに遊里に足を入れそめて種々心配をかけたる後、大阪の地に修業に来りしが、いまさらに前非を後悔して親に孝養を尽くしたく思うも、郷里にある親は大阪へいで来ることを喜ぶや」との意味を聞こえあげしに、金光様はお喜びあそばされ、
「家でも借ってわが世(世帯)を持てば、親も寄って来るぞよ」
と仰せられしと。
(6)その後、道願家は廃業し、大場氏は難波の市場に一戸を構えて、醤油小売業を始め、その由を書状にて富山県なる親のもとへ報告されしに、果たして、この報に接したる父なる人は大阪に来られぬ。いまさらに、ご神言そのままなりしに、氏もいたく感じ、以後、信仰の力も加わりゆきぬ。

..徳永健次の伝え

  1. 理3・内伝・13

  2. 理3・内伝・12

  3. 理3・内伝・11

  4. 理3・内伝・10

  5. 理3・内伝・9

  1. ご伝記 金光大神(昭和28年刊行版)

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