また、近傍の人参り合わして、その人が、「私は銅山を四年ほどいたしましたが、大損害を受けました。もう一年やって、もうけられましょうか、どうでござりましょうか。もうけられますれば、もう一年やってみますが」と申しあげると、
教祖「それは、もうけられるやら、もうけられぬやら、やってみねばわかりませんのう。
(2)周防のお方、今お帰りてはどうじゃ。私の話は、いつまで話しても、みてる(尽きる)ということはありません。書物などを見て話すのならば、これまで一切り話したからやめるということがありますが、それでないから、いつまで話しても、みてるということはありません」
徳永「私は風が悪くて帰られません」
教祖「そんなら、陸をお帰りてはどうじゃ」
徳永「私は船を借り切りにして参詣いたしましたのでござります」
教祖「そんなら、どうもなりませんのう」