それから日々ご信仰いたし、ご神徳のお取次をさしていただいておるうち、慶応二年十二月二十四日夜、夫松太郎がにわかにさしこみ、その夜は一時治まりはしたが、それからついに病床に打ち伏した。(2)そこで、翌年正月二日、大本社に参詣し、その日から日々お参りいたして、祈願しておった。(3)ある日のご理解に、
「備前岡山の士族の子供らが寄り合って、ともに遊んでいた時、その子供のうちの一人が竹光の刀を持っているのを他の子供らが知り、『お前は竹光の刀を持っている。それが何になるのか』とあざけった。すると、その子供は『ばかを言え。そんなら、ともに勝負をしよう。しかし、だれ一人も命を失ってはならないから、あの岩を切って、ともに勝負をしよう』と約束をし、ほかの子供らは、みな有名な刀でその岩に切りつけたが、いずれも刀の刃が折れてしまった。そこで、竹光の刀を持った子供は『お前らはどうしたのか。これを見てくれ』と、竹光の刀でその岩に切りつけた。すると岩はまさに二つに分かれたので、ほかの子供らはみな感心したという。
(4)まことに一心というものはえらいものであるが、その方はまだ一心が足らない。寅の年(仁科松太郎)も二月八日には、昼の丑か夜の丑かに、まことに一命が危ない。一心が足らないと、後で悔やむぞ」
と仰せられた。