私(片岡次郎四郎)夫婦に子供が生まれては死に、生まれては死に、一番大きくなったのが四歳で、どうしても育たなかった。これは金神の祟りであると思い、家相地相を見てもらい、家を何度となく作りかえ、家の後ろにある溝まで替えた。片岡の家は代々かなり知恵もあり、金にも困らず、地方での家柄であった。それで、あらゆる手段を尽くして金神をよけ、また封じてももらったが、どうしても験が見えない。このうえは、どこかに金神の守りをする人があるであろうから、その人に会って談判してみたいと思っていた。
(2)たまたま、慶応二年のある日の夕方、村内の石村という者が来て、「今日、中井村の大森金子大明神(大森うめ)の広前に参ったところ、才崎に信心をしなければならない家があるから、参るように言ってくれと言われ、考えてみると、どうもお宅のことのように思われますが」と言う。当時、村内の者はみな、「片岡家は絶えるであろう。気の毒なことであるなあ」と評判していたのであった。(3)石村の言葉を聞いて大いに喜び、さっそく大森金子大明神の所に参った。しかし、無学の一老婆なので、心中少し物足らないように思っていたら、「そういうことは金光様のお広前へ参らなければならない」と言われた。そこで、慶応四年二月に、大森金子大明神に伴われて、はじめて大谷に参拝した。(4)大谷でも、なお少し物足らないように感じたが、金光様は、
「それは困っていることであろう。此方もそれで難儀をし、七墓も築かされた。信心すればおかげが受けられる。一緒に信心していこうではないか」
と、あたかも親が子を抱くような慈愛に満ちたお心持ちで迎えてくださったので、すっかり恐れ入り、此方こそと思いこんで信心さしていただくようになった。