明治七年九月二十一日、はじめて参拝した時、
「辰の年(伍賀慶春)、よく備前からお参りなされた。今日はお祭り日であるから、しっかり信心せよ。家内の代参で参ったとのことであるが、一流れ信心すれば、よくしてもらえるから」
と仰せられた。(2)翌日、帰ってお祓をあげていると、持っていた扇がしぜんに躍るような気持ちがし、ふと、口に「金神の道を勤めてくれるか、開いてくれるか。開いてくれれば、午の年(妻)の病気を助けてやる」とのお知らせがあった。
(3)それ以後、金神様が来られたと言って、みなが集まるようになった。そのため警官が来てさしとめ、ついに二里もある藤井という所の会議所に呼び出され、「君の方にはのりくら(神がかり)をしているそうだが、そういうことは、維新以来できないことになっている」と説諭された。
(4)信心をやめると、また家内の病が起こったので、ひそかに信心し、金光様のお広前へ参って、「金光様、ありがとうございます。おかげで家内の病もよほどよくなりましたが、会議所に呼びつけられて厳しく叱られました」と申しあげたところ、
「金光大神の道は、天地の神の教えのままである。おのずと、この道は盛んになる。今までは、金神を信心する道を興す者がなかったのである。この度、丑寅鬼門金乃神ということが変わって、天地金乃神ということになった。まあ、ひそかに信心しておれ。その方がこしらえたものでもなし、恐ろしいことはない。来てくくるということもない。道はおのずとぼつぼつ栄えてくるから、やめなくてもよい」
と仰せられた。(5)「あなたの弟子になることができますか」と問うと、
「弟子ということはない。岡山にもだんだん拝んでいる者があるが、みな出社と言っている。まあ、ぼつぼつ内分にでも信心していれば、おのずからおかげが立っていくから」
と仰せられた。