明治十四五年の晩秋、親類の人たちと五人連れで四国巡りに出かけ、途中、岡山の三番港の船宿に一泊した。その時、一老人から大谷の生神様についてありがたい話を聞かされた。(2)その人から、「明日はちょうどお祭り日であるから、一緒に参ろう」と誘われ、同道の姉に相談したら、姉は、「私は疲れているからここで待っている。お前だけ参って来なさい」と言うので、土地の講社の人々に伴われて、その老人と二人引きの人力車で金光様のお広前に参拝した。(3)私はお供えを白紙に包み、名を記さないままで同道の講の人に託しておいた。金光様は神前にお届けされ、ご祈念が終わると、大勢の中の三人だけにお書下を授けてくださったが、その中の一人が私であった。(4)私ははじめての参拝なので、上がりはなに座っていると、ごあいさつもしないのに、
「丹波の氏子」
と声をかけられた。だれのことだろうかと思っていたら、
「その方のことである」
と仰せられ、
「丹波柏原カイバラの氏子、お四国参りのついでとはいえ、此方を訪ねて遠方をよく参って来た。後々信心しておかげを受けよ」
と仰せられたので、男まさりの気性の私も全く驚天動地の思いがした。(5)さらに、金光様は、
「その方は体が弱くて困っているのであろう。四国参りの間には苦しいこともある。薬をやるから三べんはせんじ、四へん目には煮出してのめ。そうして、後は川へ流しておけ」
と仰せられ、薬をくださった。この薬は四国巡りの間に全部いただいた。(6)なお、その時、私が改まって、「何と申して神様を拝めばよろしいか」と伺うと、
「備中大谷の生神金光大神と言って頼めば、私には届く」
と仰せられ、(7)ついで、「何を神様にお供えしたらよろしいか」と伺ったところ、
「神棚を別に作っておまつりをせよ。神酒、灯明を奉らない神はないからなあ。また、ご供(ご神飯)を供え、お祭り日には野菜でも供えたらよかろう」
とお答えになった。(8)さらに重ねて、「お祭りはいつでございますか」とおたずねしたところ、
「月の九日十日と二十一日二十二日とである」
と仰せられた。
..小林財三郎の伝え