表向きは金神社であったが、日天四 月天四 丑寅鬼門金乃神大明神などと申しておられた。庭瀬藩主板倉摂津守から弓場という家臣を使いとして、「神号のことで恐れ入りますが、日天四 月天四の四を子としてくださればよろしいように思いますが」と言って来た。(2)金光様は、
「いや、字を変えておかげが立つのではない。四は死に通い、悪いように思うかも知れないが、始終幸せともいうて、これでよいのである。注連縄のしで(垂らす紙)も、すべて四にせよ」
と仰せられた。
表向きは金神社であったが、日天四 月天四 丑寅鬼門金乃神大明神などと申しておられた。庭瀬藩主板倉摂津守から弓場という家臣を使いとして、「神号のことで恐れ入りますが、日天四 月天四の四を子としてくださればよろしいように思いますが」と言って来た。(2)金光様は、
「いや、字を変えておかげが立つのではない。四は死に通い、悪いように思うかも知れないが、始終幸せともいうて、これでよいのである。注連縄のしで(垂らす紙)も、すべて四にせよ」
と仰せられた。