明治九年ごろは黒住教が盛んで、大谷の近傍などではなかなか勢いがあった。そのころ私は信心を始めて間もないことで、黒住教のことなどについて、金光様のみ前で他の人々と共にあれこれと議論ばかりしていた。(2)明治十四年ごろから平田篤胤の書を好んで読むようになった。「医者、医道を知らず、神道者、神道を知らず。われ、その真を講ぜん」という書き出しで、仏教のあらを拾って書いてある書物であった。それを読んだものだから、金光様のみ前でキリスト教や仏教の欠点を探し出して、あれこれと申したこともあった。参拝者の中には、金光様のみ前で宗教以外のこと、たとえば他人の家のことで、あの所の嫁はどう、この所のだれはこうなどと、陰口を言う者もいた。(3)ある時、金光様は、
「氏子らの中には、此方の前に来て、人のことをそしるばかりする者がある。やれ、黒住はどう、仏道がこうなどと、そしったりする。(4)自分の産んだ子供の中で、一人は僧侶になり、一人は神父になり、神主になり、また、他は役人になり、職人になり、商人になりというように、それぞれいろいろになった時、親は、その子どもの中でだれかがそしられて、うれしいと思うだろうか。(5)此方の前に来たら、他人のことを言うな。他人をそしるのは、神の機感(み心)にかなわないことになる。釈迦もキリストも黒住も、みな神の氏子である」
とご理解してくださった。