理2・佐藤光治郎・15

子ができるのが氏子で知れるであろうか。こしらえると言うが、こしらえる、こしらえないということが氏子でできるか。人間ができてくるもとは、水の上のあわのようなものである。それで、月止まり、火止まり(妊娠)ということがあるが、それは、だれが名づけたのであろうか。(2)人間は天地の神様の氏子であるから、知らず知らずのうちに天地の神様のことは口に言いはしている。(3)さて、そうして月が重なり、満九月十日すれば生まれてくる。生まれた時に、息子、娘と言う。それはだれが名づけたのであろうか。天地の神様にかたどって名をつけているのである。
(4)腹の中にいる時には、だれが乳を飲ますということもないのに、へそがあって、そこから乳を飲んで骨ができ、筋ができたのである。そういったことはだれがするのであろうか。天地の神様のおあてがいでできたのである。お大師様の子でも阿弥陀様の子でもない。みな、天地の神様の氏子である。(5)それで、体へ魂を下げてくださってあるから、この世で生きているのである。袋を縫って、中が空では何にもならない。袋の中へ物を入れるように、魂をお与えくださっている。
(6)阿弥陀様の子でも仏様の子でもない。<ほどけ>である。人が死ねば、ほどけるのである。土から生じる体であるから、死んで魂が離れれば土に帰ってしまう。

  1. 理3・内伝・13

  2. 理3・内伝・12

  3. 理3・内伝・11

  4. 理3・内伝・10

  5. 理3・内伝・9

  1. ご伝記 金光大神(昭和28年刊行版)

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