「金光様、真宗では、死んだら西方十万億土へ行くと言うし、太夫様は、鈴を負って高天原へあがると言います。宗教がたくさんあっていろいろの教えがありますが、死んだら、魂がそのようにいろいろと分かれるのでしょうか」と伺った。(2)金光様は、
「そういうことはありはしない。十万億土へ行くのでもないし、鈴を負って天へあがるのでもない。真宗や神道ばかりではなく、真言宗でも天台宗でも、天が下の氏子の死んだ者の魂は、天地の間にふうふうと、ぶゆが飛ぶように遊んでいるので、どこへ行くものでもない。わが家の内の仏壇にいるし、わが墓所に体をうずめていることからすれば、墓所と仏壇とで遊んでいるのである。
(3)この世で生きている間に、人に悪いことをしたり、天地の神様の機感(み心)にかなわないことをしたりすると、死んでからでも、魂は神様のおとがめを受けるのである。御霊を仏でまつっている者は、このような時、先行きができないと言い、神道でまつっている者は、御先になると言うのである。
(4)それゆえ、この世で悪いことはできない。天地の神様は天と地とでじっと見ておられる。地におれば、天からじっと見ておられる。天知る、地知る我知るというであろう。それが、天地の神様が知っておられるということである。天は見通しであるからなあ。
(5)よくわかるであろう。左の目は日天四、右の目は月天四である。目の玉がいくらよく光っても、日天四 月天四のお光がなかったら何も見えないであろう。日天四 月天四のお光はあっても、わが目の玉があがっていたら明かりは知れないであろう。御霊をお授けくださっているということは、それでよくわかるであろう」
とご理解くださった。