信心するのに巧者がある。なぜかと言うと、朝から長く拝むばかりでおかげがいただけるとはいかない。千度祓とか万度祓とかは、いらないことである。たった一ぺんの心経でもよい。(2)お祓をあげていても、入り口の障子があくと、だれが来たのであろうかと思うようなことでは、何にもならない。忙しい時には、ゆっくりと拝んでいることはできない。さあ降りだしたという時に、ゆっくり拝んでいては、干してある稲や麦がぬれてしまう。忙しい時には、今日は、こうこうでございますからと申して仕事に出て、麦を刈りながらでも肥をかけながらでも、清浄な心で拝めば、それで神様はお受け取りくださる。
(3)ここへたびたび参って来なくてもよい。参って来ても、金をこれだけ使った、これだけあればあのことができたのにと思うようでは、神様にご心配をかけるようなものである。神様は親であるから、氏子が心配するのはかわいそうだと思われる。無理にたくさんの金を使って参らなくても、うちで信心しても守ってくださる。