明治八、九年ごろ、父の嘉太郎が大病にかかり、そのうえ、おじの巳代吉が気が違っていたので、兄弟分の某と、親族で法華宗信徒某との両人が、金光様のお広前へ参ろうと言い、倉敷付近まで来た時、ふと、父の年がはっきりとわからないことに気づいた。(2)どうしようかと思ったが、引き返すこともできず、そのまま参拝し、そのことを金光様に申しあげたところ、
「年ぐらいのことはわかる。これは子の年である。普請をしているであろう」
と仰せられた。(3)「はい、建てました」とお答えすると、
「普請をするのに、家相見に見せて、方角は悪いけれども、往来が境になるから屋敷が変るのでかまわない、建てよと言われて、建てているであろう。そのために悪くなっているのであるから、お断りを言ってあげよう。そうすれば治る」
と仰せられ、そのとおりに全快した。
..和田安兵衛の伝え