金光様の親類のある方が、大谷よりも笠岡のお広前(斎藤重右衛門の広前)が盛んになっているのを知って、ある日、「金光様、せっかくあなたがお広めになったこのお道も、出社の笠岡がだんだんと栄えて、肝心の大谷は日々参拝人が減るようですが、まことにつまらないことではありませんか」と申しあげたのに対し、
(2)「そうかなあ。私は、何とかして、この天地の親神様のお徳を世間の人に広めたいと考えている。それが大谷で広まっても笠岡で広まっても、少しもかまわない。ただ、この神様のお徳を一人でも多く世の中の人が知ってくれれば、それでよいのである」
と仰せられた。