一つ、お道信仰の氏子においては、これに表裏の違いなり。己がさくまい(処理)勝手によりては、年回り、八方的殺とも言わず、鬼門、未申、いずれのご方角に向かい、蔵を建てようが、手水場をなすとも、三隣亡の建て前、何方イズカタへ行くとも、右申すところの条々何なりとも、以前お断り申しあげ奉り、ご神許をこうむれば、暦を見るにおよばず、その日より勝手しだいに自由自在にいたすなり。(2)お道のわけを知らぬ者は、用向きありて他行せんに、「今日は熊王神に当たる。よける」と言うて、恐れ恐れ過ぐるなり。(3)それを、お道の氏子は「今日、幸い金神様の御回り合わせなり。おかげをこうむらん」とご拝し、小児の母を慕うがごとくおすがり申す心になれば、氏子とのたまいしかば、なんぞ、これをお叱りおとがめなさらんや。平生の信心が肝要なり。
(4)かくのごとく、年月日柄を選まず、御暦を見ず、いずれのご方角に向かい、普請作事、何によらず勝手しだい、自由自在にいたすのお道は、天が下にほかにあるべからず。