「神信心をしておりながら、神をたばかり無礼粗末をすると、神は綱はつけぬけれども手足が動かぬようになるぞ。前々からの無礼粗末じゃというても、神一心に取りすがれば前々の無礼粗末はとがめぬぞ。
(2)しかし、神もお上も道理は同じことぞ。お上にでも永牢というのがあるし、大悪になれば縛り首になるなるようなもので、神においても同じことぞ。無礼粗末をすれば、一代難儀をせねばならぬ。(3)無礼粗末が重なると七墓築かするぞ。直取りぞ。七墓築かされてからの信心は遅いぞ。永牢を仰せつけられるようになってから慎んだのでは、お神にもさっそくご免はないぞ」
と金光様は教えてくだされたが、ありがたいことではないか。今はこのことを心得てご信心するから、おかげがもらえる。
(4)人間のことであるから、難儀でもさせられぬと悪いところへ気がつかぬ。悪いことが出てくると、おかげをもらおうと思うて信心する。信心すると心が真になる。信心すると、もうご無礼お粗末をせぬようになる。これがありがたいのぞ。これがおかげのもとぞ。