「悪いことをする者がありますがな、金光(片岡次郎四郎)様。しばらく行って見ずにおりましたら、山の若松のつじを切ったり、田の境を動かしたりしておりますが、ああしておったら、だんだんに私の田は狭うなってしまいますわいな」
(2)「うちにもそういうことがあって、金光様にお話ししたら、
『そうまでして人の物が欲しい者には、やっておけい。まるでは、よう取らぬわい。狭うになっても、その内で作徳をさしてもらえば同じじゃ』
とおっしゃった。(3)狭うなったからというて、別に取れ高が違いはせぬ。見端ミバ(外見)は悪うても、こなし実(収穫)がある。あなたもご信心しておるがよい。神様は見てござるから、作徳をさしてくださるぞ。(4)取られた者は立ち行くが、取った者は繁盛せぬ。やがては、買うてくだされいと言うて来るようになる。我欲から悪いことをしておると、心持ちはよくあるまい」
(5)その時、これを聞いていた、ほかの信者、
「それはそうでございますが、取られた方も、あまりよい心持ちではありませぬぞ。世間の者は、あのようなことをせられておっても何もよう言わぬのかと思うて、ばかにしますしな」
(6)「それはそうも思えるが、だれがどう言うた、あれがこう思おうも知れぬと、気をもめばきりがない。人を相手にすると腹が立つから、ご信心する者は人を相手にせずに、神様に見て守ってもらえばよい。気を広う持たねばならぬ」