「金光(片岡次郎四郎)様、この間お参りしておりましたら、にわかに苦しゅうなりまして目がくらんだようで、一時は畔のへりに寝て、どうなるかと心配しました。ご一心しておりましたら、おかげでようなりましたので、お参りしかけたのですからお参りしようかと思いましたが、またこんなことになっては困ると思いまして帰りました。おかげを受けに参っておりますのにこういうことがありますのは、どうしてでしょうか。何ぞお粗末でもあったのでしょうか」
(2)「ふん、そうか。人間のことじゃから、ご無礼お粗末がないとはいえぬが、いや、そのためじゃないぞ。無礼粗末のためなら、お参りせずに帰って、治るものか。
(3)此方が大谷への月参りの時、途中で大腹痛をして、日が暮れてからようやくお参りしたことがある。(4)その時に金光様が、
『三年五年と信心しておっても、なお迷う。十年信心が続いたら、信心家と言うことができる。(5)神信心をして、お告げをいただいて参詣しておるのに、この腹痛は何事ぞと思うであろうけれども、わがうちにおってこれほど痛かったら、家内中心配する。旅で痛いのは、その身一人の難儀ですもうが。これも神信心のおかげぞ。明日は常平生のとおり歩いて下向のできるようにおかげを授けてやるぞ』
とおっしゃったが、明くる日は仰せのとおりに元気で下向できた。(6)あんたも長年ご信心しておられるが、ご信心しておるのに何たることじゃろうかと思うたり、どういうことじゃろうかと思うたりすることはない。これもありがたいことじゃと、ありがたく受けてご一心すれば、みなおかげにしてくださる」