氏神の取次 -- お出社のない時代
教祖、いまだお出社(今の教会所)がない時代に、お取次をする広前が遠方にはない時代に、信者の願い事をいかにして達せられたか。(2)備中大谷に生神様現れられ、ご霊験高しと聞き、参り来る信者の中には、「私どもは遠方でありまして、たびたび参詣することができませぬから、お取次をする人をお差し向けを願います」と申しいでる者がたくさんにあった。
(3)教祖様はご祈念なされて、
「遠方の氏子は、急ぐ時にはここまで参って来なくても、氏神の広前へ参って、氏神の取次をもって願え。氏神がここまで取次いでくれる」
とご裁伝ありたり。私も、たびたび、これは承ったことがある。すなわち、これが布教所のはじめとも言うべきか。
(4)この教祖の広大なるご態度は、ご神訓にも、
「わが信ずる神ばかり尊みて、ほかの神を侮ることなかれ」
となって現れておる。(5)ある時には、教祖、
「氏神より届け出ておる。今おかげをやっておる」
と仰せられたこともある。氏神がみな、金光大神のお取次の広前であったのである。(6)他の宗教は諸宗をそしることによりて立ちしものでであるが、その差いかばかりぞや。しかも、死生を託するうえには寸分の障害を生ぜなんだ。他の神を拝んでも、生神様に対し奉る信心の迷いは起こらなかった。本教の尊いゆえんここにありと思う。
(7)明治十八年、教会設立出願の時にも、神道事務局は前々より、主神のほかに産土神を奉斎すべき規定であった。それで、その時にも、こちらでは障りなくできた。教祖のみ教えなかりせば、さしつかえを生ぜしならん。独立の時には産土神をお載せすることにせなんだ。天地の親神と教祖とをまつることになった。粗末にするにあらず、除外したのでもない。独立して、氏神は氏神として別にまつることにしたのである。これによっても、お道はじめのお道開きが森厳なるお手続きにより開けたことがわかるであろう。