P001:文化11甲戌(1814)-天保三壬辰(1832):1-19歳
一 /3/[1]
1.1 一つ、今般(明治七年旧一O月一五日)、天地金乃神様お知らせ。生神金光大神、生まれ所、なにか(あれこれと)古いこと、前後とも書きだし、と仰せつけられ候。
1.2 金光大神生まれ所は、同国同郡占見村。香取千之助孫。父は十平、次男。2氏神大宮大明神祭り日、暮れ六つ前に生まれ、男。父酉の年三十八歳の年、母は卯の年三十二の年。(3)文化十一甲戌八月十六日、戌の生まれ、香取源七と名つけ。母は益坂村徳八娘、おしもと申し。
1.3 文政元戊寅、母が難産いたし。私、とうがらし、目入り、難渋。(2)同じく二己卯二月、私六歳の年、ほうそういたし。(3)同じく五壬午正月、私戌年九歳の年、はしかいたし。3同じく七甲申、私生まれ日、時、母がなにかのこと申して聞かせ候。
(5)私十歳の年、虫腹。杉の小人医師ショウニンイシの薬五服のみ、治りもせず。
1.4 文政八酉九月、大谷村、父のめいむこ万吉殿、益坂村庄八殿、母の弟おじ、両人にすすめられ、大谷村川手粂治郎殿へ養子にまいり。(2)私十二歳の年。養父卯の年五十五歳、養母亥の年三十五歳。(3)当家ひいじ[4]いのゆずり名をつけ、源七こと川手文治郎と改名仕り候。
1.5 文政八乙酉十一月二十六日吉日。来がけにうしろ(大橋家)へ寄り、かみしも装束みないたし。親類、屋守、音蔵、同所豊蔵、両人出迎えに出。(2)座持ち、うえ(古川家)の五平じいさ。夜中ヨジュウ、明け/4/二十七日、酒盛りにぎやかにいたし。ばんに、里の父、益坂おじ、ひきとりに相成り候。あと客、にぎやかし。(3)里帰り、もちつき、[5]出、また、もちつきてもどり、総方へひろめ。
1.6 一つ、津の庄屋小野光右衛門様にて、手習いさしておもらい。私、十三十四、戌亥(文政九・十)と二か年。
(2)私十五歳、虫腹おこり、佐方医師紋行殿へ養父連れて出、点(灸をすえる箇所)を受け、やいとすえ、難儀。(3)また十七歳、参宮いたす時、母が足へ三里の灸いたせと申し候。やいとすえてまいり、道中でやいとぼうじて(うんだ所がつぶれて)難渋仕り候。(4)私十八歳、[6]七月十八日より病気おこりになり、ふるい、また返し、六十日も難渋。
(5)養父六十一歳、同母四十一歳で初産、男の生まれ、八月十七日。卯生まれ、名は鶴太郎。産後、血の道、総身はれ、百日余難儀。(6)四十二歳、養母乳痛み、百日余難渋いたされ候。
1.7 一つ、殿様蒔田荘次郎様と申し、百姓にじろう名を変えと仰せつけられ候。(2)天保三壬辰、川手多郎左衛門、国太郎、[7]父子とも改名仕り候。
P002:天保7丙申(1836)-嘉永1戊申(1848):23-35歳
二 /4/[7]
2.1 一つ、弟鶴太郎病気づき、末では虫さしこみ、病死いたし候。同じく申(天保七)七月十三日七つ時。(2)養父当病(発病)、痢病になり。病中、間に申し聞かせ、名字のこと、川手をやめて元の赤沢/5/氏、申しおき候。八月六日病死仕り候。六十六歳。
(3)川手文治郎こと赤沢国太郎に改名仕り候。
2.2 同所大橋新右衛門殿、母(養母)が頼み、同所古川八百蔵殿娘、もらいくだされ候。私妻にひき[8]うけ仕り候。卯十八歳、名はとせ。(2)新右衛門より頼み、本家モトヤ(大橋家)おすてとのおじめい両人、連れてまいり。方角悪しと申して、道を回りて出。私は二十三歳の年、天保七丙申十二月十三日。
2.3 卯の方角へ、四尺に一間半、風呂場に手水場建て、天保八丁酉三月二日、日柄改め。大工、同所安吉。
2.4 私二十六歳、妻二十一歳、六月十五日夜安産、男子生まれ。名は赤沢亀太郎、亥年。9六月十五日より母おこり、ふるい、九月はじめまで。
2.5 私せがれ亀太郎、八月朔日より病気、また私当病、父子とも痢病に相成り。(2)せがれは十六日朝病死仕り候、四歳にて。私は全快仕り候。二十九歳の年。天保十三壬寅八月。
2.6 同じく十月十日夜、妻安産、男生まれ、赤沢槙右衛門。
2.7 巳午の方角、門納屋思いつき、二間に六間半、間半ひさしつき。(2)方角改め。卯(天保一四)一二月十八日吉日、手斧はじめ仕り、辰(弘化元)正月[10]八日よりはじめ、同じく二十六日までに建てるように、方位の方で申され。
/6/(3)柱木は羽口の人頼み、紀州へ注文いたし。船もどらず、日限りにて間に合わず。玉島に出、柱木買い入れ、二十六日に建て。当谷大工安吉寅年。辰正月二十六日。
2.8 天保十五甲辰に、国太郎こと、元のまた文治に改名仕り候。(2)年号変わり、弘化元甲辰。
2.9 同じく二乙巳二月八日ばん七つ、大新田下の田へ麦草取りに行き、おき(遠くの田)で産のぶけ(産気)あり。(2)妻安産、男生まれ、延治郎とつけ。
2.10 同じく三丙午二月二十二日[11]立ち、私四国まいり、三十三歳の年に。三十六日ぶりに下向。
2.11 弘化四丁未九月十七日夜五つ出産、女生まれ、おちせと名つけ。
(2)右の女おちせ未明より病気なり。医師二人もつけ、祈念、講中、親類のごやっかいに相成り候。一日医師両人も薬り(治療し)、晩には病死仕り候。年号変わり、嘉永元戊申六月十三日こと。
P003:嘉永2己酉(1849)-嘉永3庚戌(1850)5月:31-37歳
2.12 同じく二己酉四月二十五日夜四つ時男生まれ、赤沢茂平と名つけ。
2.13 同じく十二月大晦日にて、須恵村丸山、竹治郎の古家買いと申し。小田コダ、八右衛門殿、証人。小野四右衛門様に方角見てもらい、よしと申されて[12]買い受け申し候。
2.14 戌の正月四日、井手お役所へ同人様ご年頭においで、私人足にてまいり。(2)ご同人、父大庄屋小野光右衛門、お願いくだされ候。方角改め見てもらい、親光右衛門様では、当年は戌年、三十七歳年回り、普請はならんと仰せつけられ候。
/7/(3)私もあんばいいたし候。なにとかおくり合わせ願いあげ、また見直しくだされ候。(4)そんなら、三月十四日、辰巳方タツミノホウ、小屋がけいたして、わたましいたしており、八月三日より下家シタイエ取り、四日地形、六日棟上げいたし、二十八日わたまし[13]よし仰せつけられ候。
2.15 正月二十八日に、須恵村へ右の家とりこし(解体運搬)にまいり、二十九日までに。
2.16 三月十四日にわたまし、家移りがゆを炊き、せがれ槙右衛門九歳の年連れて、父子寝泊まりいたし。(2)五月十日ごろより槙右衛門当病にて、病気増し。(3)医師服薬。医師に、いかがと伺い、心配なしと申され。その夜、夜中ヨジュウ熱にたてられ、もんらんいたし。
(4)夜の明け待ちかねて医師へまいり、願いあげ。早々おいでくだされ候。病人診られ、これは案外むつかしいと申して[14]帰られ。(5)それからおどろき、祈念、裸まいり、総方神々願いあげ。祈念成就せず、死に申し候。嘉永三庚戌五月十三日。
2.17 その日より、延治郎六歳にて、この子はほうそう出、申し、見舞いに来た人が見られて知らせくだされ候。槙右衛門にかかりて病気も知らず、そのまま。(2)死人を長屋へ連れて行き、兄弟親類、しまい(葬送の用意)見送りしてくだされ候。あとにて、きんとう(丁寧な礼)仕り候。(3)親類、里の母、私方へは来ずに墓まいりしてやられと、おって聞き。(4)次男茂平二歳、二人やすし。
2.18 [15]注連主神田筑前殿願い、五月二十八日注連あげ仕り候。親類よび、一人は死んでも神様へごちそう申しあげ、神職へ喜ぶようにお礼いたし。(2)筑前殿より、品物法類へひろめ、ふいちょう/8/いたし。(3)法類喜び。なんと思いわけのよい人じゃのう。うちらには、みなそろうてしあげても、そのような礼を受けたことなしと申し候。ご心配くだされ候。かたじけなく存じ候。御礼申しあげ。(4)喜んで礼申され候。神田筑前殿。嘉永三庚戌五月。
P004:嘉永3庚戌(1850)7月-嘉永4辛亥(1851)12月:37-38歳
2.19 [16]嘉永三庚戌年七月十六日より牛が虫気。医師を迎え、鍼、服薬、療治いたし、夜日とも。(2)同じく十八日、治りたと申し候。医師も、帰るからみな用をいたされと医師申され。
(3)私も、幸いそこへ、中六、平吉殿来られ、連れのうて玉島へ普請木買いに出。(4)両人久々井もどり、うえ(古川家)の参作まいり、牛がにわかに悪うなりと申してみえ。(5)私、悪うなったというて、なんの来るにおいびゃあ(およぼうか)。言うて来るから、よくよくじゃろう。死んだとてどうなりゃあ(どうなろうか)[17]と私申し。(6)そう言われりゃあよい。力落としてじゃろうと思うて言うて来た。飯後にへんが変わり、すぐに医師へ行き、来る間に死に、どうしょうようもなし。
(7)私は、帰りても、牛を見るもいじらしし、思いわけいたし、うえ頼みおき、すぐに益坂へ木を買いに出。七月十八日こと。
2.20 八月三日に本家ホンケ(母屋)をこうして(解体して)とりのけ。
(2)金神様へ私お断り申しあげ。方角は見てもらい、何月何日で仕り候。小家、大家にいたし、三方へ広め仕り、どの方へご無礼[18]仕るとも、凡夫相わからず。(3)普請成就仕り、早々お神棚ミタナ仕り、お祓、心経五十巻ずつおあげますると申して、普請へとりつきかかり、すぐに地形/9/いたし。(4)同じく六日までに建て、棟上げ仕り候。雨降り降り。普請中、日々七八日もお潤いあり、困り入り申し候。
(5)同じく二十八日わたまし仕り候。大工、安倉、元右衛門頼み。金神様お神棚調え。こしきの物は供えあげよしと大工申し候。(6)金神様ごちそう、祓、心経あげ、[19]普請成就御礼申しあげ。
2.21 同じく四辛亥七月十六日、牛虫気ムシケ。十七、八日、医師につけ、夜日の看病いたしてやり、十八日おち(絶命)。(2)考えてみ、ちょうどむかわり(一年目)、月日変わらず死に。
2.22 同じく十二月十五日夜明けの六つ妻安産、女子生まれ、名はおくらにつけ。私母が名をつけ、亥の生まれでやると申し。
P005:安政1甲寅(1854)-安政2乙卯(1855)4月:41-42歳
三 /9/[19]
3.1 同じく七甲寅の年に年号変わり、安政元甲寅。(2)同じく十二月二十五日夜四つ時に妻安産、男子生まれ。私四十一歳。四十二の二歳子悪しと申して、置かんと申し。(3)母とめ、わしが育てると申し。母に任せ[20]て育てあげ。正月生まれに年まつりかえいたそうと申して、置き。(4)二日が八日ぶり、火合わせ、七夜に当たり。二日生まれにしてもらおうと、内相談いたし。
3.2 卯の正月朔日、年御神々様早々御礼申しあげ候。総氏神様へ拝参仕り、私四十二歳厄晴れ祈念。(2)神田筑前殿願い、三男、卯の年にまつりかえ、守り札納め、赤沢宇之丞と名をつけ。
/10/(3)鞆津祇園宮まいり、大宮へ出、神主願い、奉祈念木札くだされ。卯正月四日。
3.3 [21]吉備津宮まいり、お日供願いあげ、二度おどうじあり。私、出世(繁盛)ありがたしと思うて帰り、すぐに西大寺観音へまいり。十四日出、十五日帰宅いたし。
3.4 四月二十五日ばんに気分悪し。二十六日病気増し。医師服薬、祈念、神仏願い、病気のどけ(のどの病気)に相成り。もの言われず、手まねいたし、湯水通らず。九死一生と申し。(2)私は心実正、神仏へ身任せ。家内に、外へ出て仕事いたせと手まねいたし。
(3)身内みな来て、[22]小麦打ち、てご(手伝い)してくだされ。小麦打ちやめて心配、とてもいけんと、もの案じ。宇之丞を育てにゃよかったにのう。死なれてはつらいものじゃと、みな思案いたし。仕事どころかと申し。(4)それでも、なんでも早うにかたづけて、神様願うよりしかたなし。親類寄って、神々、石鎚様、祈念願い申しあげ。
(5)新家治郎子の年へおさがりあり。普請わたましにつき、豹尾、金神へ無礼いたし、お知らせ。(6)妻の父[23]が、当家において金神様おさわりはないと申し、方角を見て建てたと申し。(7)そんなら、方角見て建てたら、この家は滅亡になりても、亭主は死んでも大事ないか、と仰せられ。
3.5 私びっくり仕り、なんたこと(なんということ)言われるじゃろうかも思い。(2)私がもの言われだし、寝座にてお断り申しあげ。ただいま氏子の申したは、なんにも知らず申し。(3)私戌の年、年回り悪し、ならんところを方角見てもらい、何月何日と申して建てました[24]から、狭い家を大家に仕/11/り、どの方角へご無礼仕り候、凡夫で相わからず。(4)方角見てすんだとは私は思いません。以後無礼のところ、お断り申しあげ。
(5)戌の年はよい。よし。ここへ這い這いも出て来い、と。(6)今言うた氏子の心得ちがい、其方は行き届き。正月朔日に、氏神広前まいり来て、どのように手を合わせて頼んだら(頼んだか)。氏神はじめ神々は、みなここへ来とるぞ。(7)○
P006:安政2乙卯(1855)4月-安政3丙辰(1856):42-43歳
3.6 ここまで書いてから、お[25]のずと悲しゅうに相成り候。
(2)金光大神、其方の悲しいのでなし。神ほとけ、天地金乃神、歌人なら歌なりとも読むに、神ほとけには口もなし。うれしいやら悲しいやら。(3)どうしてこういうことができたじゃろうかと思い、氏子が助かり、神が助かることになり、思うて神仏悲しゅうなりたの。(4)また元の書き口を書けい。
3.7 神々みな来ておるぞ。戌の年、当年[26]四十二歳、厄年。厄負けいたさずように御願い申しあげと願い。(2)戌年男は熱病の番てい(番であったぞ)。熱病では助からんで、のどけに神がまつりかえてやり。心徳をもって神が助けてやる。(3)吉備津宮日供二度のおどうじあり、もの案じいたしてもどろうが(もどったであろう)。病気の知らせいたし。信心せねば厄負けの年。(4)五月朔日験をやる。金神、神々へ、礼に心経百巻今夕にあげ、とお知らせ。
(5)石鎚へ、妻に、[27]衣装着かえて、七日のごちそう、香、灯明いたし、お広前五穀お供えあげ。/12/(6)日天四が、戌の年、頭の上を、昼の九つには日々舞うて通ってやりおるぞ。戌年、戌の年一代まめで米を食わしてやるぞ、とうえの五郎右衛門(古川治郎)口で言わせなされ。
(7)持っとる幣が、五穀の上、へぎの上、手をひきつけ、幣に大豆と米とがついてあがり。(8)盆を受け、これを戌年に、かゆに炊いて食わせい、と仰せつけられ候。
3.8 しだいによし。[28]五月四日には起きてちまきを結い、ご節句安心祝い。おいおい全快仕り、ありがたし仕合わせに存じ奉り候。(2)安政二乙卯五月、四十二歳。同じく四月二十九日夜、願いすみ。
3.9 一つ、私四十三歳の年、丙辰の年まで身弱し、難渋いたし。
(2)一つ、私、病気難渋のこと思い、月の朔日十五日二十八日三日、朝の間かけて一日と思いつきて、神様へ御礼申しあげ、神々様ご信仰仕り、願いあげ奉り。
P007:安政4丁巳(1857)10月:44歳
四 /12/[29]
4.1 [29]安政四丁巳十月十三日暮れ六つ時、亀山村より人が出。弟繁右衞門気がちがい、金神様お乗り移りと申して乱心のごとく、早う大谷へ行って、兄の文治戌の年を呼んで来てくれと申され候。早うに来てくだされ候ソウラエ。
(2)私早々まいり。身内、親類、村内懇意な人待ち受け。ようござりた、なにぶん苗にも稗にもな/13/りて、どうぞ治まるように願いますると申し候。(3)私、同人所へ、[30]前まいり。戌年、よう来てくれた。金神頼むことあって呼びにやった。金神言うこと聞いてくれるか。(4)私根にかなうことなら、承知仕り候。
(5)別儀ではない。この度、此方未年、よんどころなく屋敷宅がえにて、十匁の銭借る所なし。普請入用金神が頼む。(6)私してあげましょうと申しあげ。(7)それで神もくつろいだ。総方も一日大儀、聞きくだされ。庄屋ご寮人を、若い人お供[31]して行ってくだされ候ソウラエ。神が頼む。
(8)またあとで、おいさみあり。おしずまり願い。しずまりてやると申して、お棚へとびつき、そのままにこけ(たおれ)寝入り。(9)親類の者、本心と思わず、祈念祈祷の評議いたし。
(10)夜も明け、同人も目を覚まし、元の本心に相成り候。(11)昨日のことみな覚えておるかと申したずね、なんにも知らんと申し候。(12)覚えんと申せばいたしかたもなし。妻なりとも総方へ悪いところは断り申し、お礼回らせ。おって[32]村お役場お礼まいり、それから普請にかかるがよしと申しおき、私ひきとり。十四日。
P008:安政4丁巳(1857)10-12月:44歳
4.2 十八日に私左右ソウ聞きにまいり、普請とりかかりており、てご(手伝い)いたしてやり。
(2)二十日より私腕痛み、はれ、一日休息。仕事いたして治り、まったく金神様おかげを受け。たびたびまいり。
4.3 十一月九日ご遷宮。弟繁右衞門未の年、すぐに肥灰(農業)おさしとめに相成り候。お広前にて、/14/お金神様のお守りいたし候。(2)普請成就、こづかい、酒まで此方よりおくり、同人の[33]心配せんように、銀子入用いたしてやり。
4.4 私妻卯の年妊娠、おもし。金神様御願い申しあげ。(2)氏子の考えちがいあり。この子育てんと思いおる。この子育てい。きょうから身軽うしてやる。この子育てねば親に当たりつき。この子育てい。とめの子にしてやろうぞ、とお知らせ。
(3)帰りて妻に申しつけ。子供多し、こんどの子は置くまいと思うておりました。そんなら育てる気になりましょうと申し。神様へお断り申しあげ。
(4)翌日から身軽うなり、布機ヌノハタ[34]織りようなり、仕事さしつかえなし、なんでもでき。おかげ受け、ありがたし仕合わせに存じ奉り候。御礼申しあげ候。(5)安政四丁巳十二月こと。
P009:安政5戊午(1858)1-4月:45歳
五 /14/[34]
5.1 戊午(安政五)正月朔日、おもちを持って亀山へ私まいり。早々、弟、金乃神様お供えあげ。御礼、願い申しあげ候。
(2)戌の年は、神の言うとおりしてくれ、そのうえに神と用いてくれ(立ててくれ)、神も喜び。金乃神が、戌の年へ礼に拍手を許してやるからに、神とあったら、他領の氏神と言うな。大社小社なしに、[35]拍手打って一礼いたして通り。(3)金乃神下葉の氏子と申して、日本神々へ届けいたしてや/15/るから、神が受け返答いたすようにしてやる。
(4)戌の年、今までは、だんだん(いろいろと)不時、不仕合わせ、難を受け。これからは、何事も神を一心に頼め。医師、法人いらぬようにしてやるぞ。ほかの氏子には言わん。(5)妻の産のこと五日か十七日か、お知らせ。
5.2 十七日くれまで野え(野良仕事)いたし、もどり、夜の四つ産いたし。早々お礼まいり。おこの。ありがたしお知らせくだされ。
(2)[36]お神棚改めて、ご信心いたし、朝晩拍手打ってご奉願、日夜のおかげ受け。
5.3 午三月十五日、手にお知らせくだされ。何事もお伺い申しあげ。
5.4 四月、麦こなし(脱穀)にて、茶づ後、にわかに私熱気、頭痛いたし。(2)麦かき寄せてくれと妻に頼みおき、私神様御願い申しあげ、少しの間横になり。つるりと寝入り、目を覚まし、すみやかに治り、おかげ受け。(3)麦こなし、さしつかえなし。ありがたしこと。日々のおかげ受け。
P010:安政5戊午(1858)7月13日:45歳
5.5 七月十三日、先祖精霊回向[37]仕りと思い、早うに金乃神様へご奉灯、御礼申しあげ。
(2)私口へお言わせなされ。戌の年、今晩は盆と思うて、精霊回向へ気を寄せ。灯明、油少のうても火は消えん。はや、晩からなんぼうになりゃあ。母妻ともここへ来い、物語いたして聞かせる、なにかお知らせあり。
(3)ところへ、小田コダ、八右衛門殿みえ、聞いて、常住このいに(このように)言われるかと問われ、今夜/16/はじめてと申し。おやめに相成り候。(4)私もさがり、同人に相対仕り候。用向きすみ、同人帰り。
(5)私、[38]祇園宮ご縁日にて、奉灯、ご祈念願いあげ。また金乃神様お知らせあり。(6)家内中へ、うしろ(大橋家)本家モトヤより八兵衛と申す人、この屋敷へ分かれ、先祖を教え。(7)戌の年さん、お前が来てくれられたで、この家も立ち行くようになり、ありがたし。精霊御礼申しあげ。
(8)次に、客人大明神、近江国よりまいり、この所おさまり、八百三十一両二年になり。墓所、氏子がそばへいたし、これを場所変えるように頼みます、と申され、私聞きおき。
P011:安政5戊午(1858)7-8月:45歳
5.6 同じく七月、稲の出穂に秋[39]うんかわき、総方みな油入れ。
(2)私に金乃神様お知らせ。此方には油入れな。うんかが食うか食わんか、今夜此方広前来て寝てみい。蚊が食うか。(3)其方は、日ごろ蚊に負けてほろせが出る。ほろせが出るか負けるか。蚊が食わねば、うんかも食わんと思え。(4)しぜん(もし)封じ残りが食うたら、手でおさえおき。いつでも少々はうんかもおる。蚊に負けねば食わんのじゃ。(5)もう今夜も八つじゃけに(であるから)、かやの内へ入り。[40]寝切りを寝んと、あすの日勤まらん、とお知らせ。
(6)蚊がわんわん申して寝られず。蚊も食わず、負けもせず、かゆうもなし。お試しなされ、恐れ入り。御礼申しあげて、かやの内入り、休み候。
(7)とうない田へは、人なみに入れ。油一升のものなら二升、人より二倍入れ、とお知らせ。(8)うん/17/かの寄りの所へいかい(多く)入れおき、数(たびたび)歩くな、追うな。稲いたむぞ。いかいというても人なみでよし。二倍も入れたと人には[41]申しおき。(9)ほかへは一町ヒトマチも油入れず、仰せどおりに仕り候。
5.7 次に、七月末本庄ホンジョ名口ナグチの唐臼立て頼みにまいり、月を越して行ってあげましょうと申し候。
(2)八月十三日屋守祭りへ行くこと、御願い申しあげ。きょうは行くな、唐臼立てが来るぞ、とお知らせ。(3)私行かずと待っており、四つ前にまいり、その日成就仕り候。ありがたし。御礼申しあげ。
P012:安政5戊午(1858)9月:45歳
5.8 西原村おばの世話にて、香取、彦助、久々井、清蔵殿あとへ養子につかわし。私うちより仕立て、連れてまいり、[42]ひき渡し仕り候。(2)安政五戊午九月十四日五日祝い。品々支度、私まいり、親類中客ちそういたし。
(3)肴どんぶり酢こと、神様お知らせ。みなさまご免と申し、はしで混ぜ、みなさまおあがりなされ。酢のどっちつかずがあたり、もののあたりがころり(コレラ)になり、お知らせ。(4)ころりというが世間にあった年。
5.9 せがれ、妻に、稲をこぎ、朝のうちにこしらえて干し。私には、古いもみ一石余あり、朝のうちにひき、米にいたしてかたづけ。(2)新唐臼じゃけに重いから、神が[43]てご(手伝い)してやるぞ。飯後より綿摘みに行け、とお知らせ。
/18/(3)きょうはてご人あり、母に、お飯早うこしらえなされと私頼み。私はひとりで唐臼ひき、歌を歌うてひき。(4)其方ひとりひいてみいとお知らせ。息はずみ歌も歌われず、しんどし。恐れ入り。(5)神もしたこともないこと、まあ、たばこ(休息)いたし。公儀の普請でもたばこはある。(6)母が、けさてご人がある[44]言ようたのじゃが、だれも来ておらんのじゃのうと母が申し。人間のてごかと思うておられ。早々朝のうちにかたづけ。
(7)飯を食べて三人綿摘みに五反場ゴタンバへ出。私に親子ついて来いと申し。(8)妻が、きょうはなあし(なぜ)早いじゃろうかと申し。何事も仰せどおり。
5.10 次に、きょう、このまわりの稲、刈り干しにいたせい。雨天でも雨降り降りでも刈り、三日の天気に干し、あすあさってに二日に、下淵の田、野こぎにいたし。(2)うえの参作[45]も、かまさげて出、見て、これはじょうしき(必ず)降りじゃ、うちにはまあやめようと申してひき。
(3)三日の日和に下淵の田も野こぎにいたし。このまわりの稲もさで(集めて束ね)、だいも刈りあげ。
(4)明けの日早々より雨大降り、内にて稲こぎいたし。仰せどおりにおかげ受け。四日ぶりに降り。
5.11 次に、大新田牛使いに出、雨降りだし。いかがお伺い、やめずと使えい、本降りではない、お知らせ。やめず、一日天気。御礼申しあげ。
5.12 次に、このまわりの小田、牛使い、途中に雨降りだし。きょうは[46]牛追うて帰れ。ばんに使われ/19/ん、降りじゃ、とお知らせ。(2)うちへ帰り、大降りに相成り候。どうなら、降りか降らんか、と言う者はぬれてもどり。
5.13 世間の氏子がみな、天に一家イッケがないから降る照るのことがわからんと申しており。此方には、天に一家をこしらえてやるぞ、とお知らせくだされ。ありがたし仕合わせに存じ奉り候。
P013:安政5戊午(1858)9月23日:45歳
六 /19/[46]
6.1 天照皇大神様、戌の年氏子、私に*くだされ候ソウラエ。(2)へい、あげましょう、と申され。(3)戌年、金神が其[47]方もろうたから、金神の一乃弟子にもらうぞ、と仰せられ。
(4)金神様、戌年あげましょうとは申したれども、えい(よう)あげません。戌年のような氏子は、ほかにござりませぬ。(5)それでも、いったんやろうと言うてから、やらんとは、いつわり。ぜひもらいます。おしければ、戌年の代わりに、せがれ巳年(浅吉)成長仕り、お広前まいらさせまするから、くだされ。(6)さよう仰せられますれば、あげましょう。(7)[48]くだされれば安心仕り候。
(8)戌の年、母、家内一同へ申し渡し。一乃弟子にもらうというても、よそへ連れて行くのじゃない。此方で金神が教えするのじゃ。なんにも心配なし。午九月二十三日。
* (「私に」の)横に「この私は金乃神様こと」と書き入れてある。
6.2 秋中、行せい。朝起き、衣装着かえ、広前出、祈念いたし。すみしだい、広前、膳、妻にすえ/20/させ、支度(食事)いたし、すぐに衣装着かえて、はだしで農業へ出、とお知らせ。
(2)いな(いや)、大霜降っとってもは[49]だしでは人が笑う。ざま(体裁)が悪い。信心ばかりしてわらじ作らんと人が言うけにと、妻が申し。(3)そんなら、ざまが悪けりゃあ、あとからわらじ持って来てくれと申し。
(4)妻はおかげ知って知らず、人のわまい(世間体)をかまう。私は人のわまいをかまわず、神の仰せどおり、なにかによらず、そむかず。
P014:安政5戊午(1858)秋-12月:45歳
6.3 稲の熟れ色よし。谷中にないと、人が申して通り。(2)下淵の田、もち米植え、田ならび古新田へうえ(古川家)にももち稲植え、もみ種はうちのかえてあげ。参さの稲[50]と文さの稲は、植え物がちがうじゃろうかと、むかい(栗尾家)の馬蔵さ、人がみな申され。
(3)うえには、油二度入れて四畝半に正月もちつくほどないと申し。うちには、反に二石八斗できあり、ほかの田も二石が下。(4)その年には、油三度入れて一俵も取れんのがあり。間アイには(なかには)、うんか食うてわらがすすれのようになり、無毛ムケ(収穫皆無)の田もあり。(5)私のは、油入れたのが少なし。油入れぬのは、上米七、八、九俵もあった田もあり。
6.4 次に、札場西の田、麦まきこしらえ、馬鍬をかき。[51]曇り、雨降り。(2)人が、この降りのに馬鍬かいてどうするのならと申され。また田植えるのと申して、一日牛使え、小降りでさしつかえなし。(3)日が暮れ。もう、しもうて帰れい、降りゃあせん、とお知らせくだされ候。
/21/(4)明けお天気。みな人々が、なんと、きのうの日が降らず、よいお天気。文さ、腰よう(根気よく)やんなさったのうと、人が申し。一日にまき、かたづけ候。(5)あすはしかけすな、雨が降る。わら切りて広げておき。大降りすると塗りて生え[52]つき悪し、お知らせあり。
(6)仰せどおりに仕り候。人は、麦まきみてたか(終わったか)と申し候。この田だけみてましたと申し。(7)しもうて、うちへ帰るまでよい天気。茶づけ食べる間に曇り、大降りになり。恐れ入り、御礼申しあげ。
(8)次に、きたる麦まき、肥、なにかお指図どおりに仕り、相すみ。
6.5 午十一月三日、母の病気むつかしき。町買い物、品々入用の物買い入れいたし、お知らせ。(2)玉島へ品物見合せ、良し悪しし、気に入りた物なし。
(3)金縁茶くみ二十買い。これはいつでも[53]いる物。ほかの品物は、もう買うな。日も晩近い。帰れい。また死んだ時の買い物は、また人が来るから、きょうはいねい(帰れ)とお知らせあり。(4)その日は帰り。母もおいおいよし、全快仕り。
6.6 唐紙三間半、中境二間分は菊桐かた紙を買い、片ひら(片側)へ張り、同じく六日お知らせ。(2)上の間の正面へ棚いたし、厨子、三方、酒二合入り徳利調え、同じく二十九日。(3)午十二月六日、すけごたついたし、別、其方ひとりあたり、仰せつけられ。大工、中六、国太郎。
6.7 きたる麦まき、肥、なにかお指図どおりに仕り、すみ。
P015:安政5戊午(1858)12月24日:45歳
6.8 /22/同じく十二月二十四日、私名[54]文治大明神お許しくだされ候。
6.9 先祖のことお知らせ。前、多郎左衛門屋敷つぶれに相成り。(2)元は海のへりに柴のいおりかけいたし、おいおい出世、これまでに四百三十一両二年になり。(3)この家位牌ひきうけ、この屋敷も不繁盛、子孫続かず。二屋敷とも金神ふれ。海々の時、屋敷内四つ足埋もり、無礼になり、お知らせ。
(4)私養父親子、月なびに病死いたし、私子三人、年忌年には死に。牛が七月十六日より虫気、医師、鍼、服薬いたし、十八日死に。月日[55]変わらず二年に牛死に。(5)医師にかけ治療いたし、神々願い、祈念祈念におろか(おろそか)もなし。神仏願いてもかなわず、いたしかたなし。残念至極と始終思い暮らし。
(6)天地金乃神様へのご無礼を知らず、難渋いたし。この度、天地金乃神様お知らせくだされ、ありがたし。
(7)うちうちのこと考えてみい。十七年の間に七墓築かした。年忌年忌に知らせいたし。
(8)実意丁寧神[56]信心のゆえ夫婦は取らん。(9)知ってすれば主から取り、知らずにすれば、牛馬七匹、七墓築かする、というが此方のこと、とお知らせなされ。
(10)恐れ入ってご信心仕り、家内一同安心の御礼申しあげ。
P016:安政6己未(1859)1-3月:46歳
七 /23/[56]
7.1 安政六己未正月お知らせ。当年、せがれ巳年十五歳に相成り候。其方はせがれに世(世帯)を渡し、病気申し、お上村役場へ隠居願い申し。村役場願い、お上様へお願いあげ。57春中には、子供三人ほうそうさするぞ、お知らせ。正月朔日。
(3)同じく十八日庄屋隠居願いまいり。小野四右衛門殿聞きずみに相成り候。(4)名改めも願い。名を切りかえては、本の隠居で安心いたしましょうと思うて、御願い申しあげ。(5)そんなら、三月帳面改めまで考えて願いと申され、帰り候。十八日。
(6)三月朔日御願い申しあげ。小野四右衛門様、いよいよ隠居願いか、そんなら、もう、うちらも頼んでも、来てくれられんのう。まだわしら隠居し[58]とうない。そんならせがれ浅吉へ。(7)私ひきとり、安心仕り候。
7.2 三月には子供もほうそう延べおき、先でくり合わせでさせ。(2)もみ種のこと、早稲三反植え、中田チュウデン(なかて)、晩稲、その田その田へのお知らせくだされ。(3)田植え、しつけ(植えつけ)、肥のこと。(4)麦中打ち、つえかうこと。当年は雨多し、田麦中つえだけ、へりをかうな。雨に風そうということあり、麦刈りにくし。将棋だおしということあり。(5)お知らせどおり、つえかわず。
P017:安政6己未(1859)4-5月:46歳
7.3 春は五月五日節句、安心祝い、休み、六日から麦刈りよし。四月十日。
/24/(2)同じく二十八日氏子まいり、[59]麦熟れたと申し。
7.4 未五月朔日雨降り、同じく五日朝まで降り。飯後より、みな麦刈りに出。私は、神々様、村役場へお礼まいりいたして休み。(2)六日より麦刈りにかかり。きょう刈りた分は、ばんにはとりこみ、日じまいにいたせい、とお知らせ。(3)夜より雨降り風吹き、麦へこり(たおれ)刈りにくし。私はお知らせどおりにつえをかわんから将棋だおしになり、麦刈りよし。
(4)天気まんで(天気の都合で)こなし早うかたづけ、雨気アマケ中に麦に日を入れず俵にいたせい、とお知らせ。雨しげし。60よそには、雨気中、おき(遠くの田)田ごしらえいたし。私はうちをかたづけ、天気になっておきへ出、田ごしらえいたして待ち、田植え。
P018:安政6己未(1859)5月下旬:46歳
7.5 次に、五月末、亥の女くら九歳病気につき、金乃神様御願い申しあげ。日々弱り。
(2)捨ておいて農業へ、朝見て出、また飯にもどりて見、時々に見て、それで万一死んだら、朝うち、昼、ばん。(3)暮れにもどりて見て、死んどったら、ばんに。茶づにもどりたまでは生きとった、ばんの間に死んだと思えい。
(4)うちうち、前々は夜も寝ず、医師、法人、隣家、親類、[61]講中まで心配かけ、日夜混ぜかえし。それでも死のうが。(5)死んだらままよと思うて、心配せずと、農業、家業出精いたし。病人のそばにおるな。病人見おると、気がせいて悪い、とお知らせ。(6)日々おきへ家業に出。
P019:安政6己未(1859)5月27日:46歳
7.6 二十七日辻畑ツジノハタにて夫婦申し、ばんには小麦頭ごなしいたそうと申して、中食チュウジキに早う帰り。(2)母が/25/妻に申しつけ。昼役には、おくらは、よう寝とるか、湯とも水とも言わんが、行ってみさんせいと申し。
(3)私、にわ(土間)にて神様お伺い申しあげ、心[62]配なし、お知らせ。妻は手足洗い、私は茶づけ食べ。(4)妻、おくやおくやと申し。ものは言わず、体はつべたし、冷え。かかさん油断じゃった、おくら死んだと申し。聞くより母とも愁嘆いたし。
(5)私、なに言うのなら、今わしはお伺い申したら、心配ないとお知らせ。妻が、なんの死んだ者に心配と申し。いよいよ死んどるか見いと申し。(6)改め見、つく息、せなにぬくもりありと申し。そんなら死んではおらんと申し。早うご祈念頼むと申し。
(7)[63]私、茶づけ食べさし、天地金乃神様御願い。すぐにお知らせ、お神酒を飲ませて、加持をしてやれ。(8)私、幣帛、お神酒持って行き。目をひっくりかえし歯をくい(くいしばり)、顔は白うになり。私、病人をひき起こして片手にかかえ、すねにもたせ、小指で口をあけ、お神酒をうつしこみ、のどへ通り。
(9)腹へ納まりたから心配なし、加持をいたしてやれ。六根の祓、心経、三巻ずつ読み。(10)もうよし、暮れ六つまでに験やる。生き祝いと思うて、ばん[64]役、此方の広前にて休めい。家内はそばにおってやれ、とお知らせ。
7.7 私は茶づけ食べなおして、中境唐紙閉てきり、お広前へ休み、なにかを考えてみ。(2)先前は教え/26/てくださる神様もなし、こんどは結構にお知らせくだされ候。ありがたし。これで死んでもおかげ。(3)今までは大入用入れて死なせ。隣家、一家、親類、谷中のごやっかいに相成り。この度は入用さしなさらんのう、思ようるところへ、(4)妻が、もういけません、今のうちみやげに、ま一度(もう一度)[65]祈念お願いなされと申し。
(5)私、天地金乃神様へお願い。祈念してもせいでも一つこと、しょうと思えばせい、せんよりよかろう、とお知らせ。お祓、心経五六巻あげ。(6)もうよし。暮れ六つまでは、まだ間アイがある。ほどのう験をやる。一口泣いても験、もの言うても験ぞ、とお知らせ。
(7)また私横になり休み、もの案じいたし。信心いたしてもどうならんものじゃのう、またあそこには子が死んだと、人に言われるが残念と思い、いたしかたなし、世にもあることと。(8)神様[66]お知らせどおりにいたし、病中入費入れず、ありがたし。夜じまいに葬式いたすと、考え申しおるところへ、(9)お母さん、小用出ると申す声に、私起きあがり出てみ。病人、奥の間より、にわの口(土間の入口)外にて夢中でつくばみ(しゃがみ)おり。
(10)妻は外じまいに出ており、そこへ来。私、それみい、験くださったのう、ひきかかえてもどれいと申し。妻が抱いて帰りて寝させ、すぐに寝入り。(11)早々私神様へ御礼申しあげ、七つ半ごろ。(12)お礼すんだら湯を浴びと申して、妻[67]が湯をとる間に、また小用と申して、にわの口、外にてしたたか小用通じ、本性に相成り候。七つ下がりにて。(13)天地金乃神様御礼申しあげ。夜もよう休/27/み。
P020:安政6己未(1859)5月28-29日:46歳
7.8 明け二十八日御礼申しあげ。妻が病人見て、おくらにはほうそうが出とると申し。(2)神様、ほうそうと言うな、ほうそうと言うと、このうえ心配かかるぞ。茶を飲んで、みな野え(野良仕事)行けい、と仰せつけられ候。(3)夫婦とも、おき(遠くの田)へ行き。まいりて、ほうそうじゃ、妻申し。(4)飯に帰りて、私病人の所へ行ってみ、ぱらりと出ており。そのまま、おきへ[68]出。晩の御礼には、なにとぞお知らせを楽しみ。
(5)二十八日晩の御礼申しあげ。きょう早々にはほうそうではないと申したは、くつろがせんために言うたの。よそにはほうそうしあげと申し。此方には大きな子からしおろさするぞ。(6)五月小、あすきり。二十九日、日もよし、注連おろし。門注連まで其方はてご(手伝い)してやり、子供にさせ、祇園宮厄守り広前まで。
(7)其方、祇園宮へ向くことならん、此方の広前させねばならんから。(8)日々ご膳、香、花、朝晩、祓、[69]心経ごちそうにあげさせ。(9)此方には、笹振りの不浄、汚れ、毒断てということなし。二月ぼうそうにさせ。(10)ほかの子は、してもせいでもしさしでも、六月十三日には注連あげ。祇園宮祭り、厄守りいなせねばならん。
7.9 二十九日、床へ壇かざり、祇園宮様まつり、門注連まで仕り、子供に御礼申しあげさせ。
(2)うえのばばに知らせい。うちにもくらがほうそうじゃ、きょう注連おろすと申しておき。(3)六月/28/朔日にはほうそう穂[70]ぞろいぞ。うえのおばらが、子供連れ、氏神、観音様へまいるから、赤手ぬぐいかつがせ(かぶらせ)ついてまいらせ、とお知らせ。
(4)明け朔日、日中遊んでもどり、別状なし。御礼申しあげ。(5)二日には、きょうは出ようとも言うまいが出すな。きょうから厄にかかり、ほううみ(化膿)なり。
(6)三日早々御礼申しあげ。きょう朝のうちがほうそうさかり、昼、ばんには、下りに相成り。まず一人はしあげ、安心いたせい。(7)ほうそうは顔面カオオモテがおも、ほか手足はあらと思えい。三日ぼうそうと申すものなり、とお知らせ。
P021:安政6己未(1859)6月10-21日:46歳
八 /28/[71]
8.1 [71]安政六己未六月十日お許し、金子大明神。
8.2 ほうそうしあげ、十三日早々注連あげ。祇園宮祭り、厄守り帰らせ、神社カミノヤシロへ子供みなお供仕り。御礼申しあげ。(2)また祭り後、厄守りいつなりとも来て、あとの子供にはさしょうぞい、と天地金乃神様お知らせ。
8.3 同じく十六日、三男卯の年宇之丞病気づき。当病全快奉祈念、日々御願い申しあげ。しだいに弱り、大病に相成り。
(2)二十一日湯水も通らず、早々御願い申しあげ、お[72]知らせ。ほうそうなら出ように、はや五六日/29/なり。この度は病難ぞ。むつかしいが、どうなら、この子は生まれ年まつりかえしておろうが。(3)元の年へもどすか。もどさねば助からんが、どうする。守り札流しか、いかがにいたすぞ。(4)恐れ入りました。守り札流し、元の年へもどしまする。お助けくだされ、願いあげ奉り。
(5)そんなら、元の寅の年男六歳、名も改め、名、虎吉、とらよしと申し。きょう朝のうち四つまでに験をやるぞ。(6)朝役うちにおってやり、飯食べては、下淵の田へ、田の草へみな[73]出。
(7)飯前に水飲むと申し、杉なりへ一杯飲み。団子と申し、水団子いたし。一つ食べ、もうよしと申し。(8)妻がもっと食べと申し、私すすめなと申し。無理にすすめて一つ食わせ、すぐにもどし。(9)すすめなと申すの、無理に食わせ、難儀をさせと申して、私妻を叱り。(10)神様御礼申しあげ。もう心配なし。飯食うて右の田の草へ出。
P022:安政6己未(1859)6月22-28日:46歳
8.4 同じく二十二日お礼申し。これをついでにほうそうさしょう、とお知らせ。しかし、こんどは、先に注連おろし注連あげいたしたからは、こんどは注連いらず。
(2)次に、午[74]の年二歳おこのは昨年より顔の出物で毒取り、ほうそうやすし。やまやま十五六どもは出ようぞい。序病み(初期症状)もなし。(3)祇園宮厄守り、神棚でごちそういたしよし、お知らせ。
(4)このは寝冷えをしたか、乳飲むのに口の内が熱いと、妻が申し。その明けの日ほうそう出、姉のおくらが始終守りいたし。(5)三人の子供に一夜も守りいらず。娘くらにばんの間、せがれ虎に朝の間、二人に間欠げ。これも神様お指図、何事も仰せどおりに仕り。
/30/(6)不浄、汚れ、毒断て[75]なし。結構にほうそうしあげ、ありがたし。
8.5 六月二十八日、隣家だけよび、仮祝いにしとけい。また先で祝うと申し、よろこび(祝いの金品)はしんしゃく、もらうな。かり末代ということあり。不入用(無駄な出費)さすな。(2)よろこびもらわず、客だけいたし候。
P023:安政6己未(1859)6-8月:46歳
8.6 一つ、綿肥、反にまこのせんとく一俵あてにいたし、やけても水あてな。水をあてると内虫多し、とお知らせ。
8.7 一つ、まえ(鈴木家)の久蔵、部屋分かれの時、長屋住まいの時、うちのまねして日を入れず、麦俵し。(2)六月には、つみが黒うなるほど出たと申し出。こなたにはどうで[76]ござります、つみが出はしまんか。うちには出ん。(3)同人、日を入れましょうかと申し。虫がおれば日を入れるがよいと私申し。こなたにはどうなさりゃあ。私方につみが出んから見合わせと申し。
(4)同人俵出し、日入れ。つみたいそう出、本家ホンケ(母屋)内へ入り。(5)弟今蔵言いごといたし。ばからしい。信心する、拝むというて、素人のいうこと本ホンにして。(6)拝んで虫のわかんものなら、法人の方カタには虫わきはせん。生麦をどこの国にか俵にする者があるか。ばか[77]の天上、うちをまでしまわせた(だいなしにさせた)と申し。同人来て話いたし。
(7)それでも、おかげでたんといたまず、よけい減らず、ありがたしと同人申し、喜び。(8)神様御礼申しあげ。仕事のまねはだれでもでき、心のまねができんから、とお知らせあり。
8.8 /31/八月に、いっち(一番)やわしい麦俵に印して別に積み、それを出し、俵うつすところ、右同人せがれ来合わせ。(2)どうなら、うちらあなあ、つみも虫もおらんが。お父に[78]来て見さんせ(見なさい)と言えと申し。(3)麦、唐臼カラウス入れてふんで、いたみもせず。ありがたしこと知り。始終、日を入れず。
8.9 一つ、綿しつけ(植えつけ)、堂東ドウノヒガシほかに小田、三町ミマチ。綿摘みに出、摘みよし、綿目よし。(2)新家治郎、通りかかり、この綿よい綿、選ヨりなしと申し。うちのは、はとふ(鳩のふん)のような。上はなしと申し。(3)肥いかい(多く)いたし、水をさいさい入れたのは綿目悪し。(4)綿買う人が、綿よし、こ(繊維)がよう出ると申し。摘むのに早し、選りなし、値が[79]よし。
P024:安政6己未(1859)9-10月:46歳
九 /31/[79]
9.1 未九月十日お知らせ。当年麦まき、二十日ごろより来月二十二三日ごろまでまき、よし。気をせるな。その間にはまかす。(2)当年はせがれに牛使わせ。地がうげようとうげまいと、ゆがもうと、ままと思い、任しておき。(3)人が来て頼むのに、牛使いさいては(使いかけでは)もどられん。みぞは切りさいても、もどりて拝んでやってやっても、らく。
(4)牛使いはじめに、土手根の田、札場の田へまいり。牛が荒れるから使いかけしてやれと妻が申し。80私使いかけ仕り。とび歩き、手に合わず。口を取りてもどうならず。
/32/(6)私考え、これは神様お知らせと思いつき、せがれに使えと申し。おせ(大人)の手に合わんものが子供の手にどう合うものかと、妻せがれとも申し。(7)わが手には合わいでも使うてみい、らくじゃ。せがれ使うて牛静かになり。妻せがれに、どうなら、恐れ入れと、私申し。
(8)せがれ十五歳、牛使い渡し。私は、麦まきさいても、人が来られ、うちより呼びに来る、もどり、拝んであげ。(9)十月二十一日までに麦まきしまい。
P025:安政6己未(1859)10月21日-12月:46歳
9.2 [81]天地金乃神様御礼申しあげ。麦まきみて(終わって)安心いたし、色紙五枚買うて来い、とお知らせ。紙買うてまいり、お願いあげ。(2)五枚重ねて、七五三のちぢみつけて幣切り。幣串かねで二尺五寸、改めあげ、とお知らせ。できしだいに、お改めお願いあげ。
9.3 金子大明神、この幣切り境に肥灰(農業)さしとめるから、その分に承知してくれ。(2)外家業はいたし、*農業へ出、人が願い出、呼びに来、もどり。願いが[82]すみ、また農へ出、またも呼びに来。農業する間もなし、来た人も待ち、両方のさしつかえに相成り。(3)なんと家業やめてくれんか。(4)其方四十二歳の年には、病気で医師も手を放し、心配いたし、神仏願い、おかげで全快いたし。その時死んだと思うて欲を放して、天地金乃神を助けてくれ。
(5)家内も後家になったと思うてくれ。後家よりまし、もの言われ相談もなり。子供連れてぼとぼ/33/と農業しおってくれ。
(6)此方のように実[83]意丁寧神信心いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ。(7)神も助かり、氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き、とお知らせ。
(8)一つ、仰せどおりに家業やめて、お広前相勤め仕り。安政六己未十月。
* 3-(1)~(7)を「立教神伝」と称している。
** 横に「未十月きり」と書き入れてある。
9.4 十二月二十二日お知らせ。
一つ、床へ仮に棚二段こしらえ。正月に供え物で[84]きん。(2)占見村宗元、大工重蔵午年、おかげ受け、お礼にしてあげますと申し、同じく二十八日調え。散銭びつ供えあげ、同人。
P026:安政7庚申(1860)1-5月:47歳
一〇 /33/[84]
10.1 安政七庚申正月、信者氏子、拍手カシワデお許し。国所歳名覚つけ、神門帳こしらえ、とお知らせ。(2)同じく五月朔日お知らせ、願主歳書覚帳調え。
P027:万延1庚申(1860)12月-文久1辛酉(1861)8月:47-48歳
10.2 田地売り渡し、所は札場西、向淵ムコウブチ土手根みぞべり、うえ(古川家)売り。八百蔵仰せつけられ候。万延元庚申十二月。
10.3 文久元酉正月お知らせ。
一つ、東長屋[85]建てかえ。二間に四間、にわ(土間)四尺、間半ひさし、一丈一尺柱立ち。木は、益/34/坂、才治郎頼み、大工、中六畳屋午年国太郎頼み。(2)此方のは何月何日ということなし、職先せれば行くがよし。いつなりとも、其方の勝手しだい、こしらえできしだいに建ててよし。
(3)六月四日大工出、わき大工同人頼み、同所玉之丞丑年。同村畑、平吉、てご人(手伝い人)。
10.4 同じく七月二十一日地形、石すえ、暑いとみな申し。あすは天気くり合わせやる、暑きことなし、お知らせ。(2)ばんには吉兆に雨[86]降りこむと申し。二十二日早々、建てかけ。人は大工とも七八人でよし。手が合わねば(人手が足りねば)神がてごしてやる、とお知らせ。
(3)一日曇り日和、八つ半ごろに調え。雨降りだし、ぬれ物、かもいまでに、てんでんに、おそいいたし、上からおりる間に、遅い人はしずく流し、大夕立。(4)昼から雲が出、はや降る降るとみな申し。よう降らざったぞのう、これがち途中に降ると、どうならんのじゃった。よいまんに建ったのうと申し。早々お天気に相成り。
(5)ばんに棟上げのお知らせ。五色の[87]幣三本切り、祝儀三つ包み、米一俵三人、棟梁一斗五升、両人へ一斗ずつ、三つの入れ物入れ、幣を一本ずつ立てて、此方広前、三人棟上げにまつりてくれ。(6)ほかでは棟でまつり、此方には神の指図、棟ばさみ、まつる米もいらんぞ。棟でまつりても、地治めんと、かえってもしようがないぞ。(7)此方には地を治め、末の繁盛楽しますため。
(8)七月二十二日調え。
10.5 八月、酉戌方ホウ、手水場、小用場、私へ仰せつけられ候。
P028:文久2壬戌(1862)1月:49歳
一一 /35/[88]
11.1 /35/[88]文久二壬戌正月三日、久々井、彦助丑年かん立ちと申して、本家初之丞殿ならびに隣家の人言うてみえ。(2)早々神様御願い申しあげ。心配なし、治めてやる、とお知らせ。
(3)また八日、治らんと申して右の三人まいり。同人荒れて番に困り、囲い入れ、上原祈祷カンバラギトウいたしますると申し。
(4)私また神様お願い、お知らせ。ほかの氏子ならとめ申さんが、此方から無事でやったから、此方で治しても[89]どす。(5)氏子同士なら、まめな体をやったから、まちがい者は、えい(よう)受け取り申さんと言う。此方は神じゃけに、二匁の初穂もよそへはやらん。元の本身ホンミにしてもどしてやる。(6)そうおっしゃっても来ません。来ねば、此方から迎え神をやるから来る。せがれに、行ってひきたてて、其方先へなりてもどれ、とお知らせ。
(7)せがれ浅吉早々まいり、病人彦助、八日八つ時連れてまいり。また、本家、隣家[90]四人ついてまいりて、介抱いたしますると申し候。
(8)けさ総方とりもちいたしたから、このちゅうば(小康状態)のこと、大勢おるが悪い。此方に介抱いたしてやる。総方ひきとりてもらえい、とお知らせ。(9)私みな断り申し、帰りてもらい。おって私ご奉祈念お願い。験日お知らせ楽しみ、日々お願い、験日のおかげも受け。
P029:文久2壬戌(1862)1-3月:49歳
11.2 /36/十四日朝さしおこり(発作)、手に合わず。金乃神様御願い申しあげ、お知らせ。(2)きょう昼、ばんまでには治めてやる。晩には風[91]呂いたし、家内中入り、あとで丑年入らせい。あす十五日、此方広前出、お礼申さす、とお知らせ。
(3)みな風呂へ入ったけに風呂へ入れと私申し、風呂場へ連れて出。本性に相成り。入らせおき、帰り、私神様御礼申しあげ。(4)また私まいり、どうならと申し、よいあんばいと申し。もうあがりまする申し、あがりて手水使い。(5)今夜はうちへ休み。うちへ入りて神様おじぎいたして休み。私も御礼申しあげ。
(6)十五日十六日疲れて休み。[92]十六日昼、もう起こせい。寝さしておけばきりなし。うしろ(大橋家)孫兵衛殿頼み、さかやきしてもらえ。(7)全快を久々井申してやり。妻妊娠なり。
(8)ようやく十七日まいり。元の本身に相成り候。ばんにはせがれ浅吉に着がえを持たせていなせいとお知らせ。(9)ふとん一枚食い裂き、道具もめぎ。これは夜番いたさんゆえ、此方ぶねん(不注意)。お知らせどおり全快仕り候。八日より十四日までに。
11.3 二月二十八日夜に、身内の人五人、彦助連れてまいり。相[93]すまん儀なれども、またさしおこり、妻、産のぶけ(産気)にて心配仕り、御願い申しあげ。ご奉願。
(2)氏子心配すな、神が産はさせん。いんでみい、腹は治っとろうぞ。病人は置いとき、治して帰らす。いっこに(一度に)毒を取ると、根劣りになり、二度に毒とりさばきしてやる。(3)病人元の本/37/心になり、産人は大事なと言うようになったら、産をさしょう、とお知らせ。五人の者、頼みおきひきとり。
(4)三月三日のばんに、姉さん帰りますと申して、ひとり帰り。(5)同じく[94]四日にせがれ左右ソウ聞きにやり。同人朝役肥をかたいだと申し。丈夫に相成り。
(6)三月二十六日の夜中に妻安産仕り。おかげでやすし。丑の年彦助お礼まいり仕り、申し。女子生まれ。一月延べてやったとお知らせ。ありがたし。親子丈夫肥立ち。
P030:文久2壬戌(1862)6-7月:49歳
11.4 六月四日、東新宅上手水カミチョウズ、また本家(母屋)東、手水場つけて、大小便場所お知らせ。二か所お許しくだされ。
11.5 せがれ浅吉当年十八歳巳年、身上難年。祇園宮へ六月十三日まいらさせ、天地金乃神様お知らせ。(2)仰せどおりにまいらせ。沙美より船に[95]てまいり、同じく十四日七つ時下向仕り候。
(3)十五日十六日疲れ、やぶのかけ台の上へ裸で休み。私に、疲れではない、はしかぞ、とお知らせ。
(4)二十五日しあげ、元の本身に相成り。ついでに、あとの四人の子供、月のうちにさしてしまおう、と仰せつけられ。(5)畳屋、伴蔵バンゾウ大工、東納屋の作事、東納屋にていたし。この間、子供衆見えんが。子供はみなはしかしょうりますと申し。
(6)七月朔日までにみなしあげ。五人の子に守りいらず、なり物、青物、[96]毒断てなし、此方よりは/38/しかの手本を出し。
P031:文久2壬戌(1862)7-11月:49歳
11.6 一つ、矢掛智教院おじ斎次右衛門と申し、出、ぐずり申し。
(2)一つ、山伏の儀つき、笠岡出社へお差し向け。私、同じく二十一日暮れ六つ立ちにいたして行き。信者氏子まいりており。話いたし、早々矢掛へ人やり。(3)明け二十二日ばんに人もどり、智教院断り申しあげと申し。
11.7 同じく二十三日、かごにて五人供いたしくだされ、早々五つの帰宅仕り、御礼申しあげ。(2)所々氏子まいり待ちおり。まえ(鈴木家)久蔵、帰[97]り待ちかねてまいり。妻妊娠にはしか、九死一生。医師、薬一服置いて手を放し帰られ、お願い。(3)お神酒下げてやり、早ういただかせと申し、帰らせ。総氏子の祈念願いあげ。久蔵妻早々おかげ受け、お礼届けいたし候。子の年女全快。
(4)畳屋、国太郎妻、妊娠はしか、中山、医師が手を放したと申して、人まいり、うえ(古川家)母に来てくだされ。(5)神様お願い申し。母に、心配せずに行け。一心に願い、うろたえな。あすばんには安心してもどるようにしてや[98]る、とお知らせ。早々おかげで全快。(6)小田、本谷、妊娠の女六人助かり。世間には多く死に。
(7)益坂、惣左衛門、きょう九つの験、とお知らせ。験の時に死んだと申して、人が来。(8)久々井、彦助、大病申しまいり。薬一服のまず全快。これは、はしか時もおかげ受け。
11.8 /39/一つ、十月十六日早々の御礼申しあげのところへ、久々井、彦さんが急変、死なれたと申して、人出。私、聞くより神様お伺い申しあげ。(2)急変ではない、変死じゃ、とお知らせ。母親が神の恩知らずゆえ、丑の年彦助も[99]始終出世することなし。神が早うにくつろがしてやった、とお知らせ。
(3)おって話聞き、十五日、日中ヒナカ麦まきいたし、夜明けがたと申し、変死仕り候。(4)家内中たびたび神様ごやっかい申しあげ、おかげを受けて恩知らず。(5)母亭主清蔵は、娘の持病につき黒住へ信心いたし、久々井での大元と、人に言われた人と聞くなれども、先セン養子もいに、娘の病気も治らず。父も病死いたし、あと立ちがたなしと申し。
(6)清蔵妻は、私母、[100]西原おばにもいとこなりと、西原おばが申し、香取、彦助を養子にすすめ。(7)私、兄、兄弟あまたにおるなれども、みな不仕合わせゆえ、私を頼み、世話してやり。娘持病もおかげで治り、裏毛地(裏作のできる田)心配やり。(8)神様へは信心すなと申し、心得の悪い母親と、この度思い知り。黒住のおかげもないはず。(9)取り欲張り、彦助しば(葬儀)入用むしん申し。見限りた女。
11.9 金光大明神、壬戌十一月二十三日お許し。
11.10 [101]にわ(土間)の分一間、座敷にせい、とお知らせ。同じく十二月。
P032:文久3癸亥(1863)2-3月:50歳
一二 /40/[101]
12.1 /40/文久三癸亥二月。
一つ、妻卯の年四十五歳妊娠、当月九日夜に安産、お知らせ。(2)九日、今夜はまいり人あり、明夜産を延べ。かまの柱しもうて(くどの火を消して)休めい、とお知らせ。
(3)十日夜、まいり人もなし。夜の五つ時卯年産人にふるいがつき、神様お伺い申し。心配なし、広前の金幣持って行って持たしておけい、とお知らせ。
(4)また私は祈念奉[102]願。もうよし、金幣此方へ納めおき。産ぶけ(産気)の知らせ。産の場所こしらえておき、夫婦とも安心に休めい。(5)まだ、間どる。今夜月のお入りでなけらねば生まれぬ。生まれても、私には、起きるにおよばず、とお知らせ。(6)こんどの子は育てな、育たぬぞ。産声だけ。わきへ押し寄せておいて、卯の年平生のとおりに休め、とお知らせ。
(7)腹が張ると申して目を覚まして起き、[103]早々安産、やすし仕り、おかげ受け候。月のお入り時、男子生まれ、そのままかたづけおいて、また休み。
12.2 私、明け十一日御礼申しあげ。(2)子は七夜までうちに置き、七夜たち、川へ流し。産人卯の年、夜が明けた。起きて門の戸あけ。水神社広前許してやる。水をくみ、ご膳を炊き、土公神と此方へ供えあげ、とお知らせ。(3)産人起きて仰せどおりに仕り候。身上に別状なし。
12.3 /41/女の身上こと。月役、妊娠、つわり、腹帯、腹[104]痛まず、産前身の軽し。産後のよかり物、団子汁、子に五香いらず、母の乳へお神酒つけ、親子ともいただき、頭痛、血の道、虫、病気なし。(2)不浄、汚れ、毒断てなし。平日のとおりに相成ること。
12.4 亥三月二十一日お知らせ、表口の戸を取り、戸閉てずにいたし。
P033:元治1甲子(1864)1-10月:51歳
一三 /41/[105]
13.1 [105]元治元甲子正月朔日お知らせ。
天地金乃神には、日本に宮社なし、まいり場所もなし。二間四面の宮建ててくれい。氏子安全守りてやる。(2)天地乃神にはお上もなし、其方にはお上もあり。世話人頼み、お上願い申しあげ。
(3)世話人、当村午の年川手保平、同所森田八右衛門巳年。大工、安倉丑の年元右衛門、弟子、中六午年国太郎。手斧はじめ、きたる四月吉日。
(4)こしらえてお上がかなわねば、どこへ[106]でも、宮のいるという所へやるけに、かまわん。こしらえいたせい。(5)お上がかのうて建てば、其方の宮。天地乃神が宮へ入りておっては、この世が闇になり。(6)正真ショウジン、氏子の願い礼場所。
/42/(7)其方取次で、神も立ち行き、氏子も立ち。氏子あっての神、神あっての氏子、子供のことは親が頼み、親のことは子が頼み、天地アメツチのごとし、あいよかけよで頼み合いいたし。
13.2 村お役場へお伺い。願主浅吉、[107]世話人右両人。判頭ハンガシラ藤井春太郎、年寄西三郎治、庄屋小野慎一郎殿御願い申しあげ、お聞きずみに相成り候。(2)判頭より村方談じ(相談)のうえ、お上願い申しあげ候。正月十日。
13.3 金神の宮の儀、御願い申しあげに代人立て、棟梁元右衛門、橋本卯平両人頼み。(2)棟梁は京より大峰山上*へ山伏の断りお礼にまいり、もどりに紀州回り、木買い入れいたし、お知らせ。
(3)京都、白川神祇伯王殿様へまいり、御願い申しあげ。お役人林大和守、安部田備前守お聞[108]きずみに相成り候。(4)私に居宅祈念イタクキネンの許し、許状くだされ候。宮の儀は、屋敷内建て、苦しゅうなし。甲子四月九日。
13.4 湯、行水おさしとめに相成り候。六月十日。
13.5 金光大権現、一子明神妻こと、十月二十四日。
* 横に「途中、山伏になり」と書き入れてある。
P034:慶応1乙丑(1865)10-11月:52歳
一四 /43/[108]
14.1 /43/乙丑(慶応元)十月十日、一乃弟子、金光浅吉。
14.2 同じく十一月十五日、次男石之丞十七歳、剣術のけいこはじめ仰せつけられ候。
P035:慶応2丙寅(1866)6-11月:53歳
14.3 慶応二丙寅六月二十三日、朝の御礼延引(中止)仰せつけられ候。
14.4 同じく九月八日明け六つ、母病死。願い。(2)一時も祈念やめること相な[109]らん。死人所へ行くことならず。きょうからご節句じゃから、子供総方節句させ。病人にしておき。夜になにか指図いたすぞ。
(3)夜にお伺い。あす八つから。節句もすみ、八つの葬式ということがあるからに、八つから披露いたし、夜に仮葬りにいたしおき。(4)京都浅吉へ沙汰にいたして、同人が来たら本式(本葬)さする、お知らせ。(5)九日夜に仮葬り仕り候。
(6)安倉、橋本幸いまいり、神様よりお頼みに相成り、京へ。橋本、京行くと申して届けまいり、[110]お差し向けに相成り候。(7)蒔田マイタ相模守様お屋敷訪ねくだされ、浅吉に会うて話いたしくだされ、頼み申し候。
14.5 ほかに神様より、白川伯王殿様へ御願い申しあげ、信者氏子にお許しくだされ候ソウラエ。大谷村金子駒次郎、同じく占見新田村坂助、同じく六条院中村、秀吉妻へ、同じく西浜ヨウスナ村多蔵四人へお差し向け。(2)棟梁取次ぎ、金子十両やれ、と私に仰せつけられ候。相渡し候。許し金。九月十日、橋本卯平戌年へ。(3)十月二日、帰宅。
14.6 /44/[111]丙寅十月八日、京都より浅吉下り。同じく朔日出、三十日のおいとまくだされ候。まいり。神様へお届け申しあげ候。(2)まず、とうじ(当分の間)休息仰せつけられ。なにか此方より指図いたすまで待ていとお知らせ。
14.7 お上より石之丞へ、同じく十一日五つ半時お召し、同人まいり。(2)同じく十二日早々お知らせ。十三日、母の葬式いたし候。(3)十二日ばん、石之丞帰宅仕り候。有志役申しつけられ候。名字帯刀ご免。
(4)おとどい(兄弟)とも、帯刀でばばの供いたし、にぎにぎしゅう本葬式おさしなされ。何事もお[112]くり合わせくだされ候。(5)七日なり、中陰(四十九日の法要)なり、十九日までの回向いたし。(6)二十日にお役所出、ご用相すみ、日帰り仕り候。(7)二十一日夜、玉島、船便にて京へ帰り。金光浅吉。
14.8 同じく十一月二十四日、
鬼門金乃神大明神 神力明賀命、金光大権現 人力威命、お知らせ。
P036:慶応3丁卯(1867)2月:54歳
一五 /44/[112]
15.1 一つ、お上より、京都(白川家)官位出すように、ご添簡くだされ、丁卯(慶応三)二月十日。(2)同じく十三日、代人金光石之丞、棟梁、橋本右近[113]両人を頼めい、とお知らせ。安倉、船頼み、出船、/45/右三人上り。
(3)上京仕り候につき、神様よりお知らせ。この度は、地頭より添簡くだされ、官位の儀、よろしゅう御願い申しあげ候。(4)しかし、金神広前では京都ご法どおりのことはできませんと申してくれ、と両人へ申しつけられ候。(5)たびたびまいるから、天地金乃神おかげ話してよし。(6)慶応丁卯二月十三日、右三人まいり。
15.2 前度マエド(これまで)たびたび、ご[114]やっかいに相成り候。今般、地頭より添簡くだされ、持ってまいり、よろしきように御願い申しあげ。金神ありがたしおかげのこと申しあげ候。
(2)拝むこと、六根の祓、心経だけのこと、お役人中もお聞きずみ。(3)なるほど、此方の法どおりでは、神が聞かれねば、おかげくださらいでは、なんぼう法を祈りても役に立たず。(4)拝む人の願いで、神がますます感応いたされ。それでよか[115]ろう。(5)心経だけは言われにゃよいに。これは経文じゃ、仏の方と言われたきり、とめもせん。
(6)神の広前かざり物のこと、お伺い申しあげ。此方には、かざり物の許しは出さん。氏子の奉納物はなになりとも苦しゅうなし。紋は丸に金コンの字、別状なし。(7)吉田家には遠路の人でも留めおいて、礼拝、諸礼のこと、二十日三十日かかりても教えると申し。此方には人を留めて入用させません。地頭の願いどおりの許し出し。
/46/(8)備中浅口郡大谷村
金神社神主 金光[116]河内
白川神祇伯王殿家 本官所
伯王殿家 役人
村上出雲守
安部田備前守
蒔田相模守様内
亀山幸右衛門様
二階堂勇右衛門様
平田慎作様
卯二月二十二日
(9)京へ四日滞留、同じく二十八日帰宅仕り。
P037:慶応3丁卯(1867)4-10月:54歳
15.3 四月十五日、巳年浅吉出世、お知らせ。(2)同じく十八日、同人巳年、お役所勤めになり、お知らせ。(3)五月三日、[117]同人めでたく存じ奉り候。
15.4 同じく八月二十五日早々お知らせ。棟梁考えで宮社普請成就せん。油買い、分けてあてがい。
15.5 /47/一つ、同じく九月九日、浅尾お役所まいり、日帰り仕り候。疲れ。(2)十一日、西小坂村、久太郎病死見舞いに出。十二日より病気づき、日々病気増し。(3)二十日夜、此方広前へよこせいとお知らせ。(4)明け二十一日早々、奥の間へ休ませ。きょうより祭り、あす全快願い、お知らせ。
(5)二十二日ぐあい悪[118]し、昼九つ時、九死一生と申し。妻私を呼び、このとおりなり、いかがいたしましょうか。命乞いの願いしょうなされと申し。(6)私、命乞いの願い、なにをする。うちのものはみな神様のもの。日ごろの心得かた改め。(7)大切な、年に一度のお祭りに、死ぬるというような病気になるも、家内中の心から。いたしかたなし。死んでもだいない(かまわぬ)。ほっとけ、申し。(8)私、きょうはあなた(神)へのご用いたさねばならんと申し。
(9)[119]私の心へお知らせ。かわいいと思うな、打ち殺してしまえ、とお知らせ。(10)そのまま私、お神酒ねぶらせおけと申して、お広前出。氏子祈念いたし、晩までとり続き。
15.6 二十三日夜お月待ち、総氏子御礼申しあげ、お知らせ。酉の年へご飯(ご神飯)下げて、茶をわかして、茶づけにして食べさせ。神様お差し向け、茶づけ食べと申してやり、手に取りて食べ。(2)明け二十四日かゆを食べ、しだいに食づき、日々快方に[120]おもむき、ありがたし。
(3)二十八日、寝床あげ、とお知らせ。昼は外へ出るようにしてやる。十月朔日には結いそりいたし、広前出、礼いたさせ。(4)何事も仰せどおりに仕り、おかげくだされ、おいおい全快仕り、元の本身に相成り候。(5)十一日丸い穀食べず。金光石之丞酉の年十九歳の年。(6)今は萩雄と申しつ/48/け。
P038:慶応3丁卯(1867)10-11月:54歳
15.7 一つ、門の戸開き、敷居をつぶし、十月五日お知らせ。
15.8 卯十一月二十四日早々お知らせ。
[121]一つ、日天四の下に住み、人間は神の氏子。身上にいたが(痛い所)病気あっては家業できがたなし。(2)身上安全願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身上のこと、なんなりとも実意をもって願い。
(3)一つ、月天四のひれい、子供子、育てかたのこと、親の心、月の延びたの流すこと、末の難あり。(4)心、実意をもって神を願い、難なく安心のこと。
(5)[122]一つ、日天四 月天四 鬼門金乃神、取次金光大権現のひれいをもって、神の助かり。
(6)氏子の難なし、安心の道教え、いよいよ当年までで神の頼みはじめから十一か年に相成り候。(7)金光大権現、これより神に用い。(8)三神 天地神テンチノカミのひれいが見えだした。かたじけなく、金光、神が一礼申し、以後のため。
P039:明治1(慶応4)戊辰(1868)1-4月:55歳
一六 /48/[123]
16.1 [123]辰(明治元)の正月六日お知らせ。子とも二人、閏四月楽しみ。(2)同じく二月五日お知らせ。兄浅吉巳年、身上安心安楽、江戸にて勤め。(3)同人、江戸より殿様お供いたし、浅尾お屋敷へ入り、同/49/じく三月三日。始終お屋敷勤め。
16.2 同じく四月三日早朝お知らせ。棟梁、神の恩知らずゆえ、神がいとまを出し。お上へ対し、まず普請を延べ、一切り。(2)内(去る)三月に宿へひき、(3)四月八日、米一俵、使い胡麻屋、喜十郎殿頼み、道具取りに来い[124]と申してやり。(4)荷物(所帯道具)持って帰らせ、十日お知らせ。
(5)同じく十六日棟梁まいりて、向明神、世話方両人頼み。両三人、私に、神様へお断りなされ、願いあげ。(6)私、神様へお断り願い奉り。金光願うな、かなわん。金神気ざわり。荷物持って帰らせ、とお知らせ。
(7)十七日にひきとり。(8)七月盆のうちには作料立ててやる。借金あれば申し出。払うてやる。途中にひま出すから、さしつかえないようにしてやる。世話方両人へ申し渡し。同じく十七日なり。(9)[125]委細の儀は普請帳に書きだし。
P040:明治1戊辰(1868)閏4-7月:55歳
16.3 閏四月朔日、父子とも、お上より結構に仰せつけられ候。浅吉へ徒士役、父にご紋付きかみしも。神様御仰せどおり、閏四月。
16.4 同じく九日お知らせ。万劫末代、代続き、始終仕合わせ、出世繁盛さする。
16.5 同じく二十四日同じく。日天四回り月天四回り、日と夜の長短ナガミジカのこと、南北を回り。午年(明治三)には大の回り。
16.6 [126]五月二日、日天四お入り時、天地三神悪事刈り取り、お上に刈り取り。
16.7 /50/七月同じく、さかやきのこと、月の朔日十一日二十一日三度いたし、お知らせ。
16.8 一つ、辰年(明治元)より丑年(明治一〇)まで、十か年先、わが身の姿を見よ、末のため、お知らせ。七月二十七日。
P041:明治1戊辰(1868)9-11月:55歳
16.9 辰九月二十四日、神号変え、と仰せつけられ候。
(2)[127]
丑 生神金光大神
日天四 寅
鬼門金乃神
月天四 未
申 大しょうぐん不残金神ノコラズコンジン
(3)天下太平、諸国成就祈念、総氏子身上安全の幟染めて立て、日々祈念いたし。(4)名前書きつけ、新の氏子には神号とめ。
(5)一つ、くくり袴調え。羽織さしとめ。
16.10 九月末に、年号変わり聞き、明治元戊辰。
16.11 十一月朔日仰せつけられ、家内、子供まで、ご神号お許し。
(2)[128]当年より十三か年先、世の治まり、天下太平願い、楽しみ、辰の年(明治一三)までのこと。
P042:明治2己巳(1869)1-3月:56歳
一七 /51/[128]
17.1 /51/明治二己巳正月仰せつけられ候。お洗米、歳書帳の紙、さらに(新たに)買い改め申し候ソウラエ。
17.2 巳三月十五日、当年より、先祖の祭り、毎年九月九日十日に、身内、親類、此方へまいらせ。
(2)一つ、そのほか祝い、祭りは延引(中止)いたさせ。
(3)一つ、親類勤めは子供にいたさせ、と仰せつけられ。
(4)[129]一つ、同じく、普請のことは神が指図いたすまでは待てい。もっとも、ほか信者氏子してあげますと申すことは、とめ申さず。
17.3 同じく十七日早朝お知らせ、十七夜待ち拝むように。
(2)日天四
両天惣身尊
月天四
大しょうぐん不残金神 土田命
同じく十七日夜にお知らせ。
17.4 同じく二十三日、日々朝晩の祈念とめ、総氏子の祈念[130]は、家内、子供にさせ、と仰せつけられ候。(2)日々のご飯(ご神飯)娘亥の年おくらに炊かせ。
P043:明治2己巳(1869)5-11月:56歳
17.5 一つ、岡山出社信者氏子中まいり、御礼申しあげ。ご普請ご延引に相成り、してあげましょうと申し、私にすすめ。(2)信者氏子、むかい(藤井家)へ寄りて談じいたし。巳五月二十五日。
17.6 /52/笠岡金光大神(斎藤重右衛門)、玉島金光大明神(小谷清蔵)、右ご普請儀、私にすすめられ。(2)神様御願い申しあげ。神はどちらと申さず、総方へ任せる、と仰せつけられ。同じく七月十一日。
17.7 [131]笠岡出社金光、棟梁へ理解(訓戒)申しつけ、手斧はじめ。同出社の棟梁谷五郎さしむけ、お客としてさせ。同所向かいの友右衛門、弟林右衛門両人、樽魚あげまいり。巳九月十日。
(2)諸入用つけ立て、作料月勘定に渡し、世話方申しつけ。手次ぎ大工、しだいに頼み、節季は二十日きりに大工いなせと申し渡し。
P044:明治3庚午(1870)7-10月:57歳
一八 /52/[131]
18.1 明治三庚午年、七月三日早々、大しょうぐん様ご縁日、お知らせ。
一つ、ぼろぜんたく(繕い)無用、一子大神へ申し渡し。午年きり。
18.2 [132]一つ、本家(母屋)屋根がえ、お知らせあり。うちうち、雨降り漏り、畳くさりても大事なし、と仰せられ。雨漏っても座敷へ受け物いたし。こんど、世話方屋根ふくと申さば、任しおき、とお知らせ。
(2)九月お祭り後、本家の屋根のこと、私に届け。よいようにしてくだされと、世話方へ任せおき。(3)世話方両人、道木、伊勢辰年(久戸瀬伊勢五郎)。屋根屋、胡麻屋、組五郎、同じく、佐方、筆蔵。(4)同じく二十七日、八、九日まで、四方成就仕り候。みなおくり合わせ、おかげ。
18.3 /53/[133]一つ、日天四 月天四 丑寅未申鬼門金乃神社 生神金光大神社、当年十三年に相成り。(2)辛抱いたし、心徳をもって天地のしんと同根なり。(3)六根のお祓、心経お読みなされ。(4)金光大神社の口で天地金乃神が御礼申し。このうえもなし。
(5)一つ、諸事の儀、ほかより一匁の物に一分、一分増しに、お知らせあり。午十月二十六日。
P045:明治4辛未(1871)1-4月:58歳
一九 /53/[133]
19.1 明治四辛未正月、二月三日にお知らせ。
一つ、広前、六角畳とりあげ。(2)先、肥灰(農業)とめたが、未(安政六)の十月より、[134]当年、年の回り十三年なり。今までたびたびの不時、難受け。またもどのような不時あっても苦世話にすな。
19.2 四月六日、西六信者先生夫婦(斎藤藤吉・富枝)まいり、不評の話いたし。出社中組み合うて、押しかけ(強盗)に行ったと申して話あり。(2)此方にはなんにも知らんと申し候。何事もなし。
19.3 一つ、四月十日お知らせ。世話方午年保平、広前の歳書帳つけ、きょうきり。おとめに相成り候。(2)その後、また午年みえ、神様へお伺い申しあげ。(3)世話方午の年、[135]金光大神を六角畳の上おろすから、よくよくのことと思うてくれ。また用があれば、此方から申してやる。きょうもまあよし。
(4)その後、世間に不評ありと、おいおい聞き。まいり人も少なし。(5)浅尾お上にも聞き合わせに出/54/されたと話聞き。どこで聞いても、なにのこともなし。なにを言うもみなうそなりと申され。おいおいお上係お役人まいられ、話でき。
(6)まったく浮評。人のそねみ申し、わが身へ難受ける。以前も、お屋[136]敷内に、人をしくじらしょうと思うて、しかけてお上願い、吟味になり、その人は実意で言いぬき、願主がしくじり、屋敷を立ち去り。これらが、まったくそねみでわが身へ難を受けと、話いたされ。(7)こなたのが実意じゃから、お上に聞き合わせでき、人がなんと言うてふれても別状なしと、お話でき。浅尾、寺尾只一殿。
P046:明治4辛未(1871)5-9月:58歳
19.4 一つ、五月二十四日お知らせ。棟梁はらわたがくさり、普請成就せず。
19.5 [137]未七月二十四日お知らせ。運気、運勢、普請、作事、方角、縁談、宅がえのこと、理解でよし。日天四様ご縁日。
19.6 八月四日、麦買うな。此方のありたけに食べ。子供に唐臼カラウスふませいでもよし。家内中、米を食べさす。(2)手習い、本読み、そろばん、した者から、しだいに教えてやり。
19.7 九月九日十日祭り、仰せつけられ、幟大小四本立[138]て、表へ提灯六張り、新座敷表、二張りともし、大ろうそくともし、おもちいたし。
19.8 一つ、なにかのこと、淵が瀬になり瀬は淵となり、たとえのこと。大水の時、平らの海のごとくと申すことあり。
/55/(2)一つ、備中逆川と元昔より申し、水が逆しに流れるようになり。
P047:明治4辛未(1871)12月4、10日:58歳
19.9 未十二月四日お知らせ。
一つ、始終仕合わせ。何事も世話苦にすな。実意にいたし。きょう[139]とい(恐ろしい)ことも、こわいこともなし。どのようなことありても逃げな、逃げることなし。何事も人を頼むと言うな。
(2)一つ、娘縁談こと、たとえ三十になりても、いかず後家と言われても、苦しゅうなし。人の言うこと苦世話にすな。めいめい考え。神は先を楽します。寿命長久、末繁盛願い。
19.10 同じく十日早々仰せつけられ。
一つ、金光大神社でき、何事も神の理解承り、承服いたせば安心になり、神仏とも喜ばれ。[140]親大切、夫婦仲ように、内輪むつまじゅういたし候ソウラエ。
(2)一つ、方角日柄見るばかり、天地乃神に願うことなし。見ても見いでも願い断り申し。神は氏子繁盛守りてやる。
P048:明治4辛未(1871)12月11、24日:58歳
19.11 未十二月十一日早朝お知らせ。
一つ、棟梁はらわたくさりたとは、橋本同行(同様)、人に催促受け、うそ申し。(2)棟梁様と人に言われて、夫婦とも実意がなし、神のひれいがなし。金光煮だしにいたし、氏子[141]だまし、何百両の金子借り。
(3)神は氏子かわいさゆえ、神も立ち行きと思うて、ひれいをもたせ。わが力と思うて、しさいら/56/しゅうに(もっともらしく)方々歩き。(4)金光大神社の恩知らず。はや一年たち、一礼もいたさず。
(5)神は承知。金光と申しても生神じゃ、目先でもの言わねばなんにも知らぬ。(6)金光あっての神、神が知らせねば知らず。天地金乃神も気ざわり、金光大神社に[142]知らせおき。
19.12 同じく十二月二十四日お知らせ。普請地形、辻畑ツジノハタへお屋敷いたすと申し、氏子心配いたしくれ。まず、世話方を頼み、地所開くことは、此方より指図するまで待てい。
P049:明治5壬申(1872)1-2月:59歳
二〇 /56/[142]
20.1 壬申(明治五)正月二十五日、子供縁談のこと、一人もよそへはやらんと、きょう言い切り。何事も法どおりにはさせず、神の指図いたす、とお知らせ。
20.2 同じく二十七日お知らせ。
一つ、盗人は貧から、両方の難。
(2)一つ、ばくちは重々の罪。人をかけることして取り、[143]罪はほろびるということあり。
(3)一つ、人にかけられるは同罪の罪。
(4)一つ、押し取りは悪事者がすること、末は刈られ。
20.3 二月六日暮れ六つ、地震いり。天地乃神気ざわり、世の狂いに相成り。
20.4 総氏子生まれ時、歳書改め。此方家内中の歳書、生まれ時改め、せがれ萩雄へ渡し、同じく七/57/日。(2)氏神は須恵村弥九郎受け、守り札出し。
20.5 同じく十四日早々お知らせ。萩雄縁談のこと棟梁申し[144]出。棟梁頼むにおよばず、元、神の差し向け。今までとはちがい、お上ご変革に相成り候。神も変革にいたさす。
(2)棟梁棟上げすることなし。此方普請でなし、正真ショウジン、まぎらかしにさせ。心改めたら成就しょうか。十四日。
P050:明治5壬申(1872)2-6月:59歳
20.6 五月五日、越後白衣かたびら着い、と仰せつけられ候。
P051:明治5壬申(1872)7-9月:59歳
20.7 壬申七月二十八日お知らせ。
一つ、天地乃神の道を教える生神金光大神社を立てぬき、信者氏子に申しつけ。(2)金光大神、拝む[145]と言うな、お願い届けいたしてあげましょうと申してよし。願う氏子の心で頼めいと申して聞かせい、わが心におかげはあり。
(3)時節を待ち、おいおいには、金光、神より許し、信者氏子。
20.8 一つ、海川変わり、船着き場所ともなり。世は変わりもの。宮建て屋敷は、此方へ決まり。金光、氏子、先をせくな。おどろきから治まりになり。[146]申八月十八日。
20.9 一つ、同じく九月八日までかたびら、同じく九日白あわせ、仰せつけられ候。
20.10 一つ、同じく十二日、今節こと、お上変わり、棟梁おいとまになり。
P052:明治5壬申(1872)12月1日:59歳
20.11 十二月朔日お知らせ。朝の御礼、乙オト(十二月)の朔日、正月朔日、年に二度。
/58/(2)一つ、壬申十二月二日きり。三日より一月一日と申して休み。
P053:明治5壬申(1872)12月15、17日:59歳
20.12 一つ、もちつき、注連かざりは此方にはいらず。年ぶん(年中)注連あり。幟は内へみな立て。祝い、祭り、人なみにするにおよばず。なんにも(何事も)氏子の供え物でよし。
(2)[147]一つ、家内食べることはなになりともこしらえて食べい、と仰せつけられ。同じく十五日。
(3)一つ、たいこ打つにおよばず。門の鳥居をとり納めおき。
(4)一つ、諸事の買い物、見ず知らんの物買うな。
(5)一つ、魚たりとも、入用なら、十匁の物が二十目しても買え。値切ることすな。
(6)一つ、生きたる物、いかい(多く)飼うな。骨が折れるぞ。
(7)一つ、衣類、諸事の物、むたいに(むやみに)買うな。買うてよき物は[148]神が買うてやる。
(8)一つ、物見聴聞のこと、むたいにとび出な。時の見合わせでまいり。世間の人は命延ばしと申して出。此方には神がおるから、命延ばしにはおよばずこと。
20.13 金光大神社、一子大神親夫婦、子供、金光正神、同じく山神、同じく四神、正才神ショウサイジン、末為神スエノタメジンとまで五人、神に用いてやり。(2)妻は神となりても、常住かぜひきと申し。このうえ神の言うとおりせねば、病気、病[149]難、はやり病気までもあるぞ。
20.14 一子大神は、鳥居、幟取ればさみしいと申し。お断り願い、鳥居とにわの口(土間の入り口)幟、そのままに置き。
/59/(2)一つ、このうえは、なにがまた変わらんともなし。氏子心でよきことになり。書付いたし、家内中へ申して渡し。壬申十二月十七日、新一月十五日になり。
P054:明治6癸酉(1873)旧1月:60歳
二一 /59/[149]
21.1 一つ、小田県の触書フレショのこと聞き、神職立たんと申し、家内中心配仕り候。
(2)天地乃神とは、日天四 月天四 丑寅[150]未申鬼門金乃神のこと。(3)家内中、神のこと忘れな。何事あっても人を頼むことすな。良し悪ししことも、神任せにいたせい。心配すな。(4)世は変わりもの、五年の辛抱いたし。(5)とにかく、内輪きげんようにいたせい。もの言いでも、あなたこなたと申してよし。何事もあだ口申すな。新酉二月十七日。
21.2 明治六癸酉の正月二十日。閏、大小なし、月三十日。
21.3 一つ、川手戸長より萩雄呼びによこし、早々まいり。[151]神の前かたづけと申しつけられ、同人帰り、申し候。(2)すぐにお広前かたづけ、荒れの亡所に相成り候。新二月十八日ばんの七つ時。(3)かたづけしだいに、戸長へ宅吉届けやり。旧正月二十一日に当たり。
(4) 二十二日より金光大神お広前ひき、天地金乃神様より、力落とさず、私に、休息いたせ、と仰せつけられ。(5)同ばんに門の鳥居をとり納め。
P055:明治6癸酉(1873)旧2月15、17日:60歳
21.4 一つ、旧二月十五日、金光、生まれ変わり、十年ぶりに風呂へ入り、おさし許し[152]くだされ。生/60/まれ日改め。
(2)一つ、子供に申し渡し。反物あっても仕立てな、時のはやりがあるから。
(3)一つ、しま木綿はすな。
(4)一つ、白木綿吟じていたし、ためおきよし。
(5)一つ、売り木綿はすな。
21.5 一つ、同じく十七日早々お知らせ、閏六月を楽しみ。
(2)一つ、天地金乃神 生神金光大神 一心に願ネガエ おかげは和賀心にあり
という書付いたせい、と仰せつけられ候。
P056:明治6癸酉(1873)旧1-2月:60歳
21.6 一つ、世話方八右衛門、出。戸長より、金神様お厨子出し、内々お届け申上げるように申しつけられ。家内中は喜[153]び。(2)私は、内々ではいたしません、お上様、お役場へご心配かけては相すみませんと、世話方へ申しおき。
(3)早々、八右衛門、川手戸長へまいり、金光、内々では心配なから拝まんと申しまする。(4)また、戸長申され。あんまり、金光、丁寧すぎてどうならん。とめたもわし、拝めいと言うもわし。(5)お上もはじめは厳しゅう申しつけられ候。小宮どもはとり払いになろうかと思い。また、少しはごゆう(ゆるやか)になり。(6)おひざ元に、大仙ダイセン、稲荷社、普請もでき、拝み[154]おるから。
(7)金神様も、人がまいりても拝んでやらんと、みな力落として帰ると聞き。悪いことせんのじゃ/61/から、人の助かること。(8)また、なんとか心配あるようなら、此方へご沙汰あるから、何事でも申してやるから心配はないと申され。(9)拝みがかりなり(これまで拝んできている)。またまた、さらに(新規に)願うと骨がおれる。(10)さようならと申し、私も得心仕り候。新三月二十日。
(11)世話方川手保平殿まいり、私へすすめられ。私、あなたのお身代わりに立ちてあげます、ご心配かけ申さずと[155]申しくだされ候。(12)私も、氏子助けに出るからは、みなさまへご心配、あなたへごやっかいかけては相すみませんと申し候。
21.7 旧二十三日、お厨子だし、おまつり仕り、御礼申しあげ、氏子願いのことお届け申しやり。(2)私三十日休息いたし。
(3)二十四日、右(これまで)のとおりに袴かけて(着けて)出。
(4)一つ、お上出ても、実意を立てぬき候。以上。
21.8 天地金乃神様仰せつけられ、旧二月二十四日ご縁日、新三月二十日より二十一日二十二日ご縁日。
P057:明治6癸酉(1873)旧3月:60歳
21.9 [156]旧三月二日仰せつけられ。迎え湯、風呂へ入れ、と。以後は風呂入ること相ならず。寿命長久いたさすために。
21.10 一つ、十五日仰せつけられ。
/62/ 生神金光大神
天地金乃神 一心に願ネガエ
おかげは和賀心にあり
今月今日でたのめい
書きつけはじめいたし、書きためおき候ソウラエ。
21.11 一つ、二十四日仰せつけられ。今までは広前へ向き、きょうより、金光大神、表口へ向き。日月縁日。天地乃神ひれい。散銭びつ、上へ出し。
21.12 [157]一つ、晦日、絵馬、提灯、広前へ出せ、と仰せつけられ候。
(2)一つ、銭が三文が一文になりても、札が通らいでも欲言うな。
P058:明治6癸酉(1873)旧4-5月:60歳
21.13 四月四日。何事もみな天地乃神の差し向け、びっくりということもあるぞ。
(2)一つ、夫婦に、子供五人夫婦十人になり、干支の十二組み合わせ、末の楽しみ。
(3)一つ、宅吉、おこの参宮いたし。御願いあげ、二十三日ぶりにはもどる、とお知らせ。(4)仰せどおりに、三日立ち、二十五日ばん帰宅仕り候。
(5)[158]一つ、何事もお上任せにいたせい、とお知らせ。
21.14 四月二十一日早々お知らせ。参宮人衣類、待ちごすな。させんは、にくいのか。兄浅吉どおりのこと。迎えに行くにおよばず。ぜひ、うちへもどりて来ること。
/63/(2)一つ、物事、使い物してよい者になろうと思うなよ。よいと思うことは、神が指図いたしてやる。
21.15 五月二十日きりに備前札ひきかえに相成りと、備前上道郡中井村信者、金子未年より知らせ。金乃神様お願い、ありたけ[159]此方へ納めおき。(2)妻より私預かり、またもどし。(3)中井よりすすめにまいり、二十九日出し。
21.16 同じく二十七日、家内中へ木綿着いたし候ソウラエ、木綿一反も売るな、とお知らせ。
P059:明治6癸酉(1873)旧6-8月:60歳
21.17 一つ、じゃの目女のかさ二本、からかさ二十本、丸に金字コンジ[図 ○の中に金]大本社印オオモトヤシロシルシを入れ、萩雄に申しつけられ。六月十二日早々。
21.18 同じく閏六月十日お知らせ。金光大神は平人なりともひれい、天地金乃神ひれい。(2)五年ぶり世の治まり、当年より先こと。
21.19 八月十七日早々、私気にかかりたことあり、お伺い申し[160]あげ。(2)何事も変わることなし。月日と潮の満ち干変わらんから、右(これまで)のとおり。旧。
(3)火難、中夭、災難、悪事、毒害払いのけ、別状なし、と仰せつけられ候。
21.20 一つ、申し渡し。娘子ムスメゴ木綿着いたし。間アイでは、売り木綿、使い料同行(同様)にいたせい。此方に買い取りにいたす。(2)代をもってめいめいのいる物買い、または染め賃にいたし。綿は此方からやり。(3)麦米は買うにおよばず。八月十七日お知らせ。
P060:明治6癸酉(1873)旧8月19日:60歳
21.21 /64/十九日早々お知らせ。出社神号ご地頭よりとめられ。161今般、地頭変わり、出社神号、一乃弟子改めいたし、金光大神のみな一乃弟子。
(3)天地金乃神と申すことは、天地の間アイに氏子おっておかげを知らず。(4)神仏の宮寺社、氏子の家宅、みな金神の地所、そのわけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし、前々の巡り合わせで難を受け。(5)氏子、信心いたしておかげ受け。(6)今般、天地乃神より生神金光大神差し向け、願う氏子に[162]おかげを授け、理解申して聞かせ、末々まで繁盛いたすこと、(7)氏子ありての神、神ありての氏子、上下立つようにいたし候。
(6)一つ、向明神、はじめよりの信者と申し。こんど心改め、夫婦とも、命限り根限りと思うて、一心に願い。金光向大明神コンコウムカイダイミョウジンなられること。内輪安心にように願い。
21.22 総氏子のため仰せつけられ。酉八月十九日。日天四 月天四 丑寅未申鬼門金神、日本に[163]知らん人なし、おかげ受けた者もなし。(2)今般、結構なおかげを知らせ、知っておかげを受けん人あり。
(3) 日天四 金光大神 人力おどし命 人力威命ジンリキオドシノミコト
惣身命 金乃神 神力明賀命シンリキミョウガノミコト
月天四 大しょうぐん不残金神ノコラズコンジン 土田命ツチダノミコト
(4)たずねる氏子あれば申して聞かせ、苦しゅうなし。酉八月十九日。
P061:明治6癸酉(1873)旧9月:60歳
21.23 /65/同じく九月十九日、子供四人へ申しつけ。祭りにおかがみするせんのこと申し候。[164]仲ようして末繁盛するがよければ、もちをすな。仲ようせず末の難儀したければ、もちをせいと、四人相談いたして考えてみい、と仰せつけられ候。(2)此方広前は、このまま、はきそうじするにおよばず。心の安心いたし。上向ウワムきのこと。
P062:明治6癸酉(1873)旧10月:60歳
21.24 十月二十四日早々、海川山でも、いかなる大社でも、ずりこまんとは言われぬ。此方でも船着きにならんということもなし。(2)世の狂いになれば変わるもの。先楽しみ。
21.25 [165]癸酉旧十一月十日、何事も安心、お指図くだされ。
21.26 同じく二十二日早々御礼申しあげ、お知らせ。子供五人、五か所宮建て、それぞれの役さする。(2)夫婦、同じく(子供夫婦)、十二の干支組み合わせて、神守り役カミノモリヤク、氏子願うこと。
21.27 同じく十二月十日、金光大神縁日に、天地金乃神様お差し向け、酉の年生まれ、一歳。新甲戌(明治七)一月二十七日の日に当たり、金光大神酉の二歳。
(2)甲戌より、月三十日に。新旧日をくり、右の正月朔日にて改め、小なし、三とおりにつけ[166]わけてみい、とお知らせ。
(3)一つ、諸けいこのこと、なにか決まりかたの書付いたして、家内、子供中へ申して渡し。旧十二月十日、新一月二十七日に当たり。
21.28 同じく二十四日、子供四人縁談のこと、古川、向金光ムカイコンコウ(藤井)、安部。沙汰あるまで言うな。酉/66/十二月。
P063:明治7甲戌(1874)旧1-6月:61歳
二二 /66/[166]
22.1 明治七甲戌の旧正月朔日、新二月十七日当たり。一子大神、当年より金光山神へ世(世帯)を相渡し候ソウラエ。不案なことは立ち会いにていたし候ソウラエ。
22.2 同じく八日、新二月二十四日、金光[167]正神、人なみに辛抱いたし、浅尾立ち、末ため。
22.3 一つ、氏子願う金光大神社直筆のこと、請け合いおき、同じく二十四日早々お知らせ。
(2)同じく、天地書附のこと、萩雄、宅吉両人へ仰せつけられ候。きょうより書きはじめ、ためおき。
(3)一つ、同じく、当年より戌、亥、子三年の辛抱、総方へも此方も。
P064:明治7甲戌(1874)旧6-7月:61歳
22.4 六月二十六、七日両日仰せつけられ。右(これまで)のとおり、子供縁談こと、妻にうえ(古川家)相対させ、直ジキもらい、女子かえことにても、得[168]心ならいたしよし。
22.5 一つ、普請小屋そのほかの屋根がえのこと、三年待て。人がすすめても、神様へお願い申してみましょうと申しおきよし。たとえ、めげてもくさりても大事なし。何事も神様に伺いと申し候ソウラエ。甲戌六月二十七日。
22.6 一つ、旧七月十日早々朝焼け、早々消え。雨降り、大風、大工、木びき小屋、屋根はぎ。(2)その/67/ままにしておき。茅とり納め、風呂木にイタシ。(3)人にわら一把ももらうな。人があげましょうと[169]言えば、納めためおき。取りに来い、やろうぞ、と言う人へは行くな。(4)めげようとくさろうとまま。三年先楽しみ。同じく十日縁日仰せつけられ。
P065:明治7甲戌(1874)旧8-9月:61歳
22.7 一つ、同じく八月五日夜、胡麻屋金光(中務坂助)まいり、願い申し。夜前、向明神、せがれ恒介親子おいで、お頼みに相成り候。こなたの娘おくらさんをもろうてくだされと申され。(2)私、仲人と申すでもなし。私、むかい(藤井家)へまいり、親ご夫婦へも談じ申しうえ、両親お頼みに相成り。よろしゅうお願い申しあげ。
(3)金光大神、神様へお伺い[170]申し。金光大神、神は一口に承知した、と仰せつけられ。(4)お上ご変革に相成り、此方も天地乃神も変革。不入用(無駄な出費)いたすな。先で、しぜん(もし)何事ありても、胡麻屋へ言うて行けい、呼んで来い、とは申さん。間アイの人に心配かけぬように。
(5)三軒同姓と申し、神の分家と思い。神の一家イッケ、親類ということは、今まで聞いたこともなし。(6)病気につき、医師、祈念と申す所へはやらん。それをせんから、三軒うち繁栄願い、辛抱してくれ。末の楽しみため。
22.8 戌九月九日、金光大神祭り、提灯一張りも[171]ともさず、例の客だけいたし。十日宵、朝のこと、お知らせ。
P066:明治7甲戌(1874)旧9-10月:61歳
22.9 同じく二十日早々お知らせ。お祭り安心、平生のとおりでよし。お広前粗すす払い、散銭びつ/68/両ひら(両側)へ手燭ともし、上がりはな(上がり口)の上、提灯二張りともし、幟一本も立てな。仰せどおりに仕り候。
(2)世話方来もせず。もっとも、巳年八右衛門夜にまいり、じきに帰り。(3)外へは、谷中の若葉、胡麻屋講中、提灯ともしあげ。二十一夜。(4)胡麻屋には二十三日夜もおともしあげ。先より毎年のこと。
22.10 [172]十月十五日早々お知らせ。
一つ、此方一場立てヒトバタテ、金光大神生まれ時、親の言い伝え、此方へ来てからのこと、覚、前後とも書きだし。(2)金神方角恐れること、無礼断り申したこと、神祇信心いたしたこと。
P067:明治7甲戌(1874)旧10-11月:61歳
22.11 一つ、二十二日早々お知らせ。
子供三人縁談、かえことにいたせば、のしやらず。十一月十三日ひきうけいたし。(2)その間にはむかい(藤井家)も決まり、おいていっこに(一度に)客いたし。世話方巳の年も頼み。新家忠(古川忠三郎)も、どこまでも一軒同行(同様)。(3)世間のこと言うな。内輪相談、申し。此方には神の指図。
(4)また十月二十七日に、十日の日[173]延べ仰せつけられ候。
22.12 十一月二日早々うえのおて(古川津宇)まいり。(2)同じく五日、母まいり、おてるはれ病気と申し、願い。(3)同じく十五日また追い願い申し。時節を待て。どちらへなるとも針ども立てな。くじると痛みがつくぞ。つえる(つぶれる)まで待てい、お知らせ。
22.13 /69/同じく十七日酉年参(参作)まいり、ご理解あり。両方の娘かえことにいたすように談じいたし、どちらも入用せんように、仰せつけられ候。(2)おって話いたしおるところへ、おきぬが、はれ所つえたと申してまいり。酉年も、いない(すぐに)帰り。
22.14 同じく二十五日早々お知らせ。新一月二日に当たり。相談いたして、きょう妻に[174]この連れて行き、みやげに鞆津保命酒トモノツホウメイシュ一徳利、太白半分持ってやり。おこのは置いてもどり、あとにぎやかし。(2)新家忠三郎頼み、おゆき連れて此方へ来、ひきうけ、客いたし。
(3)どっちへも棟近い。おこのはもどり、おゆきは帰り、客しただけ。(4)同じく晦日におゆきは母が連れて来てもらい。おこのはどぶくり(ぐずり)、そのままうちにおり。
P068:明治7甲戌(1874)旧12月:61歳
22.15 戌十二月十四日早々私へ願い。宅吉、友達に誘われ、南浦ミナミノウラ酒屋へ行くと申し。兄へ相談して行けと申し候。
P069:明治8乙亥(1875)旧2-3月:62歳
二三 /69/[174]
23.1 亥(明治八)二月十六日、無事で勤め帰宅仕り候。
23.2 [175]一つ、若連中へ樽開き、客いたし、夜八つ半総方ひきとり。おくり合わせ、あとにて雨大降り。同じく二十九日きり、小。
(2)明け三月朔日、上カミ、下シモ、嫁のよろこびにみえ、客いたし、ばんの七つ前に総方ひきとり。夜日/70/にぎやかし、きげんようにみな帰られ、相すみ、安心仕り候。酒二斗五升使いいりと申し。
23.3 一つ、母、萩(萩雄)とおこのと連れてうえ出。萩、親、よばれてもどり。亥三月十日。
P070:明治8乙亥(1875)旧5-9月:62歳
23.4 一つ、同じく五月九日お知らせ。また元、月三度、口、ほおひげともそり。
23.5 一つ、同じく六月十三日神祭り日早々お知らせ。
[図]唐/天竺/日本くぼい[176]所へ寄り、同じく水の寄るごとし。
(2)子供のこと神に任せ、義理(世間体)を言うな。義理を言う者は親類たりともおかげなし。
P071:明治8乙亥(1875)旧9-11月:62歳
23.6 一つ、同じく九月二十日早々お知らせ。祭り、平生のとおり。二十三日の夜蒸しウムシ(こわめし)いたし、隣家よび。紋付き羽織着い、と仰せつけられ。(2)二十一日夜、さい銭びつのそばへ大ろうそく一本立て。(3)二十四日、川手戸長、津の小野氏、このまわり、おもちやり。使い、宅タク(宅吉)。
23.7 一つ、同じく十月十四日、病患、病難、悪事、災難、一家イッケ親類まで逃れさせ。一心に願い、お知らせあり。
23.8 [177]一つ、同じく十八日早々お知らせ。百日修行楽しみ。(2)子(明治九)の正月二十八日、無事に相たち、御礼申しあげ。
P072:明治8乙亥(1875)旧10-12月:62歳
23.9 高梁丸屋頼まれ、宅吉まいり。亥十月二十六日。
23.10 旧二十七日、子供五人身上、神がよきようにいたしてやる。三備州。
23.11 亥十二月小二十九日の暮れにまいり。
P073:明治9丙子(1876)旧1-2月:63歳
二四 /71/[177]
24.1 /71/金光正神巳の生まれ、三十二歳の入り厄を楽しみに待てい、とお知らせ。一つ、子(明治九)の正月朔日。
24.2 同じく二十一日、金光正神お礼まいり仕り。心改め。
(2)[178]二十四日早々お知らせ。今まで使うた金子を回しとると思うておれい。利は此方から回してやる。(3)三畳敷の内にて三年辛抱いたし、神を願い、人を助けてやり。長倉ナガクラ、留場トメバ(懲役場)におると思うて手習いし。(4)月二十日は此方へ来。借銀おいおいに払い、わしも辛抱して払うからと申して、借り方へ断り申しおき。(5)同じく二十八日にひきとり。
24.3 明治五壬申年、一般お廃しに相成り。内(去る)辰生まれ(明治元)よりご一新に相成り。五年ぶりの子年。十年あとさき、辰生まれ(明治一三)[179]までのこと。明治九丙子二月二十六日お知らせ。
P074:明治9丙子(1876)旧3-4月:63歳
24.4 一つ、同じく四月十七日、かやつるな、とお知らせ、蚊が食うて血みどろになりても大事なし。
(2)三年、三月閏のあり、卯(明治一二)旧四月十日、かや免に相成り。当年は格別に蚊がさわらず。子、丑、寅、卯、四年ぶり、四月。
(3)一つ、袴、羽織着な。白衣ハクエでよし。
P075:明治9丙子(1876)旧4-閏5月:63歳
24.5 /72/一つ、四月二十六日早々、うえ古川酉年(参作)広前へまいり、私へ話し申し。姉(とせ)が頼むと申し。才吉に得心さして、[180]おこのにひまやってくれと申され、まいり候。(2)私も、子でも言うこと聞かねばしようなしと申し。飽いて飽かれて離縁する人あり、好き合うた縁も離縁するから、世のことはどうならん。また帰縁になる人もありと申し候。
(3)同夜に、向明神、くらを呼びに出。二十七日、恒(恒治郎)迎えに出、くらはついてまいり候。
24.6 一つ、ひやけと申し、谷中氏子願い、お伺い、五月二十一日。きょうより水(田植え水)降り、お知らせ。(2)二十二日七つごろより降り、夜中を越し。田植え。(3)また、二十五日夜、朝まで降り、二十七日ばんまで降り、朔日まで、閏五月一日[181]まで。田植えよし。
24.7 三日、大しょうぐん、月ご縁日。上中下三とおりに根つけいたしたと遅うしたとつけわけ、どちらがよいか。(2)あとのしょうやく(手入れ)は、くわでけずりてもらく、とお知らせ。早う植えたは、秋よし取れ。六月二十四日、旧閏五月三日。
24.8 五月二十八日金光正神まいり、願い、御願い申しあげ。言うとおりにしてやれとお知らせ。(2)女(妻)他所へ勤めいたしおり、病気につき入用いたしと申し。
二五 /72/[182]
[182]占見村生まれ、元の俗名香取源七と申し。 /73/明治十六未年旧九月十日に神去り、金光大神、戌七十歳まで。その後、二代金光四神こと宅吉と申し、相勤めいたし申し候。明治十七申年旧十二月二十四日に*金光とせこと一子大神と神名。明治十八酉年に普通教会金光教会願い事すみになり申し候。明治二十亥年に、一つ、直轄御願い聞き届け相成り申し。
二代金光宅吉書
明治二十一戊子年旧八月四日までに写し成就いたし候。
* 以下は金光宅吉が書いたもの。
** 横に「卯六十六歳女まで」と書き入れてある。
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