
とりあえず1分40秒で
昭和28年刊行の伝記『金光大神』の原文をほぼ忠実に引用して歌詞にしました。
【序文】 明治十五年(一八八二)八月、安那郡平野村の人、長岡宣を介して、鞆ノ津沼名前神社宮司吉岡徳明をたずね、範雄は、その素願をのべて、 「なにとか、おとりたてをねがいたし」 と申入れるのであった。 徳明は、これに対して、教義の大綱をしめすべき「信条」があるか、とただした。範雄は、 「信条とは、なんでありますか」 とたずねた。信条とは、教義を箇条書にしたものであるとの説明を得、範雄は、その意向を了し、将来のことどもをたのみおいて辞去した。翌日、霊地にもうでて、みぎの次第を委細にきこえあげると、金光大神は……
【本文】 「この方は人が助かることさえできれば それで結構である これまで 他からも 道が上に貫くようにいたしたい と願うた者が なんぼうもあった」という そこで範雄は 「金光さま 居わするあいだは 仰せのとおりで結構でありますが おかくれの後 なにか 書いたものがありませぬと 世のはやり神と 同じように思われます」と おして進言した 金光大神は その旨を神前に奏した すると×2 「神のおしえることを なにかと 書いておくがよかろう」との裁伝があり 「あのように お許しがあった」とて 金光大神も 喜ぶのであった