信仰者二世の事情

やがてくる楽園を信じて、徹底的に生命倫理を重んじて生きている母親。 その正しさは絶望的と感じていても、親の期待に極力応えようとするよくできた娘さん。その関係を優しく見守り、最低限の文化的な温もりをさり気なく提供する父親。3人とも苦悩と戦っているんでしょうね。
信仰者の二世は、たとえ親が充実感旺盛だからとて、いくら正しくあってほしいという思いが強いとて、それが自分や自分の家族に適切かどうかの判断は、時代や社会に委ねられてしまう。それが現実を生きるということなのでしょう。

やがてくる楽園を信じて、徹底的に生命倫理を重んじて生きている母親。 その正しさは絶望的と感じていても、親の期待に極力応えようとするよくできた娘さん。その関係を優しく見守り、最低限の文化的な温もりをさり気なく提供する父親。3人とも苦悩と戦っているんでしょうね。
信仰者の二世は、たとえ親が充実感旺盛だからとて、いくら正しくあってほしいという思いが強いとて、それが自分や自分の家族に適切かどうかの判断は、時代や社会に委ねられてしまう。それが現実を生きるということなのでしょう。
コミックなので、すぐ読み終えることができました。
ダ・ビンチニュースで紹介されていますね。
https://ddnavi.com/interview/426559/a/
創価学会員で活動家(のつもり)です。女の子の気持ちは何となくだが分かる。私も両親や周りの熱心な学会員から会合参加を促されたとえ先に友人とかの約束事があろうとも会合優先、活動優先を言われました。ある時
布教結果が出てないから、何やってんだ!と幹部から
罵られたのをキッカケに活動から離れた。その後、何度か自宅に学会員が来ては押し問答となり長い間、非信仰者をやる事になった。今はなんだかんだで活動してるけど宗教ってのはのめり込むと周りが見えなくなる時がある。そのまま、ますます前のめり的な考えに陥る場合がある。そうなると知らず知らずの内に周りに押し付けてしまうのだ。宗教活動はあくまで自発的で無ければならない。例え真実であり正しい事だとしても
押し付ければ、いずれ反発するのは当然だと思う。
お母さんは娘さんが何故、集会に参加しないのかを
ただ怒るのではなく良く話を聞いて先ずは理解してあげる事だと思う。嫌なら無理にしなくて良いと言ってあげて、娘さんを見守る事だと思う。信仰を素晴らしさを
示したいなら、先ずそこからだと思います。
生長の家の行事も今は小さいから子どもたち、喜んで参加してるけどいつまで喜んで参加してくれるかは分からない。
うちも子供たちが最近集会に行きたがらない
ただ居心地の良さを実感してたら大丈夫。やめて大人になって戻ってくる人もいる