子供の中にくずの子があれば、それがかわいいのが親の心じゃ。不信心者ほど神はかわいい。信心しておかげを受けてくれよ。

理3・金光教祖御理解・8

現代語訳: 子供の中に問題児がいたとしても、親はその子が可愛いと思うものです。神も、不信心な人ほど可愛がっています。信心を持ち、神の恵みを受け入れましょう。

この言葉は、親の無条件の愛と神の無限の慈しみを表しています。現代社会で忙しく働く世代の人々は、この言葉から子育ての大変さと、どんな状況でも愛することの大切さを感じ取れるでしょう。

仕事と家庭の両立に追われる中で、子供のわがままな行動に イライラしながらも、本当は無邪気で可愛らしい一面があることを思い出すきっかけになります。神の愛にも通じるこの言葉は、ストレスフルな日常に一服の清涼を与えてくれます。

一方で、高齢者世代には共感が得にくい部分もあります。親の義務感や神への畏れの念が強かった時代を経験した人々には、あまりにも身近すぎて反発を招くおそれがあります。

しかし、世代を超えて大切なのは、無条件の愛と思いやりの心です。この言葉が伝える本質的なメッセージは、互いを許し合い、寄り添うことの尊さにあるのです

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  1. 信心せよ。信心とは、わが心が神に向かうのを信心というのじゃ。神徳の中におっても、氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油いっぱいあっても、芯がなければ火がともらず。火がともらねば夜は闇なり。信心なければ世界が闇なり。

  2. 神の機感にかのうた氏子が少ない。身代と人間と達者とがそろうて三代続いたら家柄人筋となって、これが神の機感にかのうたのじゃ。神の機感にかなわぬと、身代もあり、力もあるが、まめにない。まめで賢うても身代をみたす(尽くす)ことがあり、また大切な者が死んで、身代を残して子孫をきらしてしまう。神のおかげを知らぬから、互い違いになってくる。信心して神の大恩を知れば、無事達者で子孫も続き身代もでき、一年まさり代まさりのおかげを受けることができるぞ。

  3. 人間は人を助けることができるのはありがたいことではないか。牛馬はわが子が水に落ちていても助けることができぬ。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのがありがたいと心得て信心せよ。

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