上祐史浩著『オウム事件 17年目の告白』

上祐さんの本をやっと読み終えました。マインドコントロールでは自分に責任がないようだから、盲信と表現する。その態度は素敵ですが、広隆寺の半跏思惟像を見て目覚めたという物語は、きれいすぎて嘘くさかったです。

著者の人間味という部分で、元恋人のウッパラバンナー(都沢和子)の話ももっと知りたかった。でもそんな話題は無理だったんでしょう。彼は厳粛な雰囲気を強調しなきゃいけない立場ですから。ご迷惑をかけて反省していますって感じでした。

彼が生涯かけてクリアしようとしているミッションは、オウム再発の防止です。その手段として、親への感謝、かつ自然へのかかわりがなければオウムは再発する、と読み取れました。そうなのかも知れませんね。たしかに、親子関係が悪く、自然を愛せない人は教祖や占師に依存しやすい傾向にあるような気がしました。

けれど、今後は超越者を絶対視するような宗教ではなく、新しい智恵の学びの場を築くという結論に至っているのが、僕にはよくわかりませんでした。そこさえ盲信かも知れないっていう自己吟味の徹底を一生続けなくていいの?と思いますね。

あと、麻原に感じるような恐れは否定していいけど、金神に感じるような畏れは必要なんじゃないでしょうか?自然と人は仲良しこよし♪っていう軽さじゃ、この先地球を滅ぼす気がします。上祐さんは、教祖を相対化した自分を主張していますが、自然への畏怖観念なんかは、絶対化されてよろしいかと存じます。

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