「遠野物語」と「畏れ」

民俗学のパイオニアである柳田国男。
その代表作『遠野物語』は、過去に読んだがほとんど頭に残っていませんでした。
当時は、その直接聞きに行くという民俗学の方法論だけに興味があり、
内容を読もうとしていませんでした。

5日ほど前に、本屋に立ち寄ったところ、京極夏彦さんがリミックスした同書が目に止まりました。
京極さんの文章には読み慣れている。
これはストーリーが楽しめると期待して、買い、昨日読み終えました。

感想は、ん~怪談としてはオチが弱いかな。
でも、1つ1つが短編集なのに、なんとなく最初から最後まで展開する流れに連続性を感じた。
これは京極さんならではの文章構成の上手いところです。

いやいや、実はよかったのはぜんぜん違う部分。やっぱり民俗学的観点です。
大男や山姥が本当にいたのかも?と思わせられた点です。
『今昔物語集』『宇治拾遺物語』『大鏡』などと違い、
あるいは昔、土曜にテレビでやってた「まんが日本昔ばなし」のような説話と異なって、
実際に体験した人へ直接取材しています。
リアリティが伝わってきて、何度かぞっとしましたよ。

 

遠野物語の概念は、少年ジャンプでやってたマンガ『ぬらりひょんの孫』にも出てきます。
そこでは、遠野の妖怪も、都の妖怪に負けず劣らず、畏れを欲します。

そういえば、このブログの畏というロゴも、この漫画を意味しています。
(著者・椎橋寛先生の畏観に乗っかっていますので、あえて改変せずそのまま使っています。ごめんなさい)
歴代の陰陽師は味方なのに、安部晴明が敵として登場します。日本の文化や宗教の好きな人、またはお子様のおられる親御さんは親子でアニメ版を、一度見てみてはいかがでしょうか。

畏についての詳細は、ウィキペディアでどうぞ

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