御理解1~3類
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理1・近藤藤守・69
「別に、遠い所を入費を使うて大谷まで参詣するにおよばぬ。天地金乃神はどこのいずくにもござるのじゃから、どこから頼んで…
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理1・近藤藤守・68
ここは手習いして清書を持って来る所じゃ。うちで手習いして、年に二度でも三度でも、ここへ来て清書を直してもらうのじゃ。
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理1・近藤藤守・67
尾道の宮永さんと岡山の呉服屋さんが一緒に参詣して来られたがのう。宮永さんは、神徳をいただかれたが、しかし、いつもいつ…
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理1・近藤藤守・66
しんじんとは、信の心でないぞよ。此方は、しんじんは神人と書くぞよ。そこでのう、不神人とは言うなよ。不神人と言えば、神…
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理1・近藤藤守・65
信心には連れはなしじゃ。
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理1・近藤藤守・64
弘法大師は、無常の風は時を嫌わぬと言うたがのう、此方金光大神の教えは無常の風が時を嫌うぞよ。
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理1・近藤藤守・63
岩倉具視公、病気危篤につき、賀茂の神主より、立売堀イタチボリの広前(二代白神新一郎の広前)へ願いに来られ、教祖の神にお伺…
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理1・近藤藤守・62
明治十五年の寒に参拝の節、「一心におすがり申して、一年まさりの信心をして三年たった者を、一人前の信者と言うのじゃ。(2)…
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理1・近藤藤守・61
信心する人は、人に頭をたたかれても、「私の頭は痛みませんが、あなたの手は痛みませんか」という心になり、また、頭から小…
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理1・近藤藤守・60
人に頭から小便をかけられても、ありがたい、肥料が効いて太ると思い、喜ぶのじゃ。